やまない雨はないけれど
2020-10-11


★長く続いた冷たい雨はやっと上がったが

 颱風が来ているからだというが、8日木曜の午後から降り出した冷たい雨は、金曜、土曜と終日降り続き、やっと先ほど10日土曜の夜になって上がった。
 ともかく気温も低く昨日など日中でも20度に届かず、秋というより初冬11月半ばの気温だと報じられていた。
 つい一か月前、9月の半ば頃は、まだまだ残暑厳しく、猛暑、酷暑続くと騒いでいたのにまったくあの暑さが信じられず夢のようだ。
 このところ春と秋という中間の季節がどんどん短くなってきていると誰かが言ってたが、まさにその通りで、季節は一気に短い秋から冬へ駆け足で向かっている。
 毎度のことながら冬支度など何もしてなく、やっとのこと長袖のパーカーを引っ張り出して何とか寒さをしのいでいる。ああ、また今年も冬が来る、というため息が出てしまう。そう、もう今年も残すは三か月足らずとなった。

 体調も悪いところに、様々なトラブルや予期せぬ事態も重なりほとんど自分の「けんあんの事」は進まない。
 が、今は死に行く老父も含めてあれこれ抱えるものが多すぎるのだから、ともかく日々何とかやり過ごせて月日が無事過ぎていくならそれだけでも良いことだと肯定していくしかない。そう、ともかく皆まだ生きているのだから。時間が経つのは良いことだろう?
 そして我がこと以外の事案として、谷保かけこみ亭で毎月開催の「月刊・共謀コンサート」のこともどうすべきか頭悩ましている。

 コンサート自体は常にとても素晴らしく楽しく面白いことであり、企画できるのは身に余る名誉に思えることだが、このコロナ渦中、感染不安の問題から観客のみならず演者側、つまり「共謀者」が集まりにくく、どう企画を立てるか、いま再考迫られている。
 このところのイベントの規制緩和コロナは収束していない以上、実際のところまだ入場者数は制限しないとならないし、出演者の側も二極化が進んで、積極的にライブ活動に専念する人と未だ慎重派とに分かれて出演者の手配が難しいというのがどこものようだ。

 つまりコロナを怖れずライブに出る人は多忙でスケジュールがいっぱいとなり、慎重派は感染を怖れてそうした「三密」の可能性高い場には出向くのは今も自粛中だから出演してもらえない。そのどちらも出演は難しいのである。
 我は、再開後の「共謀コンサート」、つまり今年残り三回の出演者を募るに際し、先日、これまで出て頂いた多くの方々に、ご都合というか、参加の意思、その有無をお知らせ願いたいと同報メールを送った。
 だが、○○月の回なら参加可能とか、「返信」を頂いたのはごく少数で、我が不徳の致すところだとただ情けなく思うしかなかった。
 個々に出演願いの連絡をとればまた返答はあったかもしれないが、このコロナ禍、それぞれ思う立場やご事情があるわけで、無理強いはそもそもできない。
 高齢の方や、家族に病人がいたり、自ら持病があったり福祉や医療関係等、絶対にコロナに感染してはならない仕事に就いている人もいてそれぞれの事情から当面は屋内のライブ活動は控えたい方もいるわけで、それもごく当然至極のことだと思える。
 じっさい、このコロナが完全に終息するまではかけこみ亭でのイベントには参加しないと宣言された方もいて、それもまた致し方なく、このご時世では「共謀」じたい、もはや不可能なのかと自問するしかなかった。

 しかしだからといって、この「共謀コンサート」は、共謀者が少ないからといって中途で中止すべきことではないと信ずるし、逆にこんな全てに不如意かつ不自由な時世だからこそ、配信以前に生のライブイベントは意味と意義があると思いたい。
 少数であろうと眼前に観客がいてくれて、彼らと共に過ごすライブの時間こそ新たなこれからの我らの「共謀」の入り口であり、コロナでさらに分断が進んだ世界の、人と人との距離、関係を再構築する「連帯」の手段だと信ずる。

続きを読む

[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット