2020-10-03
★我が父、いよいよ末期のときが近づいて来たこと
また極私的なことを書かせてもらう。関心ない方は読まないで頂きたい。縁起でもないと思われるだろうが人の死に方について思うところを書く。
今日は土曜。朝方父を民家型お泊りデイサービスの介護施設に送り出して午前は買い物とか用事を済ませたあと、昼過ぎから自転車走らせ東中神の銭湯に行き、久々に身体を丁寧に洗い広い湯船で手足を伸ばしのんびり湯に浸かって来た。そこは小さいながらも露天風呂もある。きちんと湯に入るのは何週間ぶりのことか。
帰り道、銭湯向かいの肉屋で揚げたてのコロッケとメンチを買い、齧りながらコンビニで缶酎ハイも買って、ほろ酔い気分でウチに戻り倒れ込むように夕方まで深く眠った。
起きたらもう外は暗かった。でも久しぶりに寝足りた気分で身体も心もスッキリしている。
犬猫たちに餌もやって、家事は一段落、とりあえず今9時すぎ、二階の自室でパソコンに向かっている。
我が父は、このところ二か所の介護施設に通い、そこでお泊りもして家に帰ってくるのは、月曜と木曜の夕方で、月曜は翌日火曜日の朝、また別施設に送り出す。
が、金曜は終日家にいて、医師の訪問診察や、看護師の訪問が交互にある。そしてまた土曜の朝施設に送り出す。つまり木曜の夜から金曜一日、晩も含めて二晩は在宅で我が面倒見ないとならない。
が、このところまた呆けが進んで、夕方昼寝でもさせてしまうと、深夜に戸をこじ開け外に出ようと徘徊したり、穿かせた尿漏れ防止パンツを自ら脱ぎ捨て、下半身裸で眠ってシーツに小便で世界地図を広げるので、こちらはおちおち深く眠ることはできやしない。
夜もテレビでも観せて、できるだけ遅くまで眠らせないようにして、何枚も尿漏れ防止のためバッドやパンツをきちんとセットしてそれからとに戸に鍵かけて部屋から出ないようにして寝かせる。
寝かしつけたと思っても気を緩めると深夜に戸を自ら無理やりバカ力でこじ開け、何のつもりが真冬でも裸同然のかっこうで外に出たりするので、我は寝てても気は休まらない。常に物音に耳をすませ、衣類も着たままで仮眠状態でうとうとして、明け方必ず一度起きて彼のオムツを交換する。
それが一晩ならさほど辛くないが、木曜、金曜の晩と二晩続くと睡眠不足でフラフラになってくる。父がいる時は日中も昼寝はできない。目を離すと何をしでかすかわからないのだ。いや、何もしなくてもうつらうつらさせると今度は夜中が怖い。
このところ、我が責を負う「月刊・共謀コンサート」は毎月ごと月末の土曜日開催ということが多いから、そんなで二晩ほぼ不眠で場に臨むのは体調がしんどくて、たいがいその前日の晩、金曜の夜から夕飯はウチで済ませた上、車でお泊り施設に一晩早く連れて行くようにしている。利用料はかさむが、そうでもしないと土曜の朝に父を送り出したのではコンサートの準備も我の体調も取り戻せない。
その父は、今月の21日が誕生日だということだから、大正13年生だから、何と96歳となる。そしてさすがにこのところますます老化による衰弱は進んできた。
施設にお泊りさせる日は多いとしても、週の内三晩は、帰宅し在宅で我が世話しているわけだが、食事も下の世話も移動もいよいよ限界に近いとこのところ痛切に感じるようになってきている。
先日、市がやってる特定健診があり、我は父つれてかかりつけの病院の診療所に行ってきた。肺のレントゲンやら血液や尿検査、心電図などとってきた。つまりミニドックである。
その結果は未だ返されていないのだが、訪問診察のとき、担当医からは腎臓の数値が悪化していると告げられた。彼のパソコンに入ってる父のカルテには既にデータが届いたようだ。このまま進むと透析となるかもと。
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