着るもの考・その5〜終わりに。
2017-05-11


★まとめとして〜着るものなんてどうでもいい。

 母の遺した衣類から、つい我の過去のことまで、どうでもいいことに時間とられてしまった。
 書こうと思えば、男性下着の問題、つまりブリーフ派かトランクス派かとかいくらでもこの稿続けられるが、喫緊の情勢がそれをゆるさない。

 女性たちなど、ファッションや衣類に強いこだわりを持つ方も多々いるかと思うが、我自身は好みはあるが、基本的に着る物なんてまったくどうでもいいと思っている。好きなブランドなんてないし、ともかく着て楽であること、つまり着やすければそれこそジャージだって(室内では)かまわない。
 人が生きていくのに必須の問題、衣食住のうち、一番大事だと考えるのは、「食」であり、「衣」は三つのうち最下位の、いちばんどうでもいいことなのだ。
 だから衣類、着る物に関しては靴も含めて我は金をほとんどかけない。

 幸い我は中肉中背、日本人としてまさに一般的な体形に生まれてきたので、平均的サイズのものならば、ほぼすべて合う。サイズはMだが、Sでも着れるものもあるし、大は小を兼ねる故Lでもかまわない。靴のサイズも25〜26ですむ。もっと大きいサイズでもかまわない。
 だから着る物は新品を買わずともリサイクルショップや古着で安く買えるし人からもらったり、ときに拾ったり偶然入手したものでも全然かまわず着ている。
 だから衣料品にお金はほとんど使わない。それは我家全体がそうであり、食べ物だけは生鮮食品中心に日々買わねばならないから、ウチはエンゲル係数がやたら高い。住まいにも持ち家ゆえ金はほとんどかけないが、借りてる倉庫の支払いやら、税金などの経費、そして光熱費など、特にこの冬場は電気代が4万以上にもなって、父の年金の範囲ではやりくりつかず頭を痛めた。

 さておき、母の遺した衣類、ボロ着のことであった。
 日本は、春夏秋冬の四季がある。それは良いことだが、年中の寒暖差は、40度近くにもなろう。
 つまり真冬は零下の気温にもなるし、盛夏には、40度近くの猛暑、高温になってしまう。そう暑ければ、我は家では裸族の暮らしとなるが、さすがに女性はそうもいかない。アッパッパーのような夏用室内着も必要だし、外出時には、日焼けしないよう夏用長袖も必要だろう。※「アッパッパー」とは昔の女性たち、母世代が着ていた夏用簡易服のこと。辞書にも出てるのでご参照を。
 日本で暮らすということは、そうした四季を通し季節ごとに合う衣類を常備しないとならないのである。
 だから母は、癌で弱って死んだ昨年はともかく、元気だった頃は八十を過ぎても毎年季節の変わり目ごと、わざわざ衣類の入れ替えをせっせっとしていた。

 春が来れば冬物は洗って箱に詰めてしまう。そして薄手の春夏物を出す。そして秋になれば、夏物は洗ってしまい、また秋冬物を出す。実に何ともご苦労なことで、手伝う我もうんざりしていた。昨今は、暖冬が続いてたときは、冬が来ても冬物は全部出さないで春となったこともあったが、基本的にそうした季節ごとの衣類の入れ替えは欠かさずやっていた。
 だからウチでは、常時夏物の箱、春秋などの合着の箱、そして冬物の箱がいくつも山積みとなっていて、今もまだ箱詰めされたままのものも多々ある。
 そう、今は室内外どこでも冷暖房機器もあるわけだから、山梨の古民家に行くときは別として、ほぼ一年中、合着程度ですむのである。寒ければ多く着込むか、何か羽織ればいい。戦前ではないのだから、寒い家の中で暖を取るためドテラを着る必要もない。

 しかし、母は昔の人、旧い人間であったから、ご苦労なことに季節ごとの衣類を、季節の変わり目ごとにせっせっと「入れ替え」していたのだ。

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[日々雑感]

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