着るもの考・その4
2017-05-10


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★ジャージって何なんだ?

 着る物についてついあれこれ考えている。どうでもいいようなことだが、食の好み、嗜好と同じく衣服についても人は意外にこだわりを持っていると思える。しかし食は生きていくのにきわめて重要な要素だが、着る物なんて本来どうでもいい事のはずなのだ。
 そもそも暑さ寒さを防げれば良い。いや、暑ければ裸でいれば良いのだから、着るものは元々は防寒のためであり、そこにお洒落やファッション、流行などは関係ないはずなのだ。しかし、人は、特に女性は衣類について強い関心と拘りを持つ。そしてこんな我でも好きな衣類と嫌いな衣類はあって最も嫌いな衣服は今日では「ジャージ」と呼ばれる類のウェアなのである。

 そもそもこれは体操着ではないのか。ところがいつしかそれが日常の普段着として、愛用している人たちが多く見かけるようになった。理由はわからなくもない。発汗性にすぐれ、素材も伸びて柔らかくて楽ちんだからであろう。つまり家でリラックスするときは、これの上下に着替えれば、寝る時も含めていちいち着替えなくて良いからであろうか。
 が、中高生の頃から体育の授業が大嫌いで、その教師と共に、坊主憎ければの喩え通り、体育に関係するものは全て今でも大嫌いなので、このジャージなる体操着は着ることは愚か見ることすら耐えられない。
 そして何より理解しがたいのは、それを普段着として愛用する人たちであり、しかもこれで街中を出歩く人もいるのである。
 我が高く評価している近年の邦画の一つに深田恭子主演の「下妻物語」がある。ゴスロリファッションを愛好する主人公の少女が冒頭、彼女が生まれ育った関西の地に住む人たちが常にジャージを着ていることに対して、忌み嫌って非常に辛辣な言葉を吐く。
 この人たちはジャージを着て生まれて来て、死ぬときもジャージを着て死ぬのです、と。そのような独白に我もまさに同感、拍手喝采した。

 じっさい、家でゴロゴロしているときは、朝から晩までジャージ姿でいて、それこそ死んで棺桶に入れられるときもジャージ着て、という人はいるかと思える。そこにはファッションセンスは何もない。ただ単に着ていて楽だという自堕落な体感があるだけで、確かに洗濯もこまめにしないで良いだろうしいちいち着る物に頭悩まさずに済むわけで、その上下一式さえあれば暖かくて動きやすく楽ちんなのは確かなのであろう。
 しかし、それは下妻物語の主人公の謂いではないが、実にカッコ悪いし信じられない、のである。着る物を自ら選択し拘るのがファッションだとすれば、ジャージには思想がない。あるのは着ていて洗濯も含めて楽かどうかだけなのだ。

 我らが子供の頃元々はトレーナーと呼んでいた。つまりトレーニングウェアであろう。そう、体育のときに着る専用の衣類、体操着であった。ただ、トレーナーがスエットと呼ばれるとするならば、我は、木綿素材の「トレーナー」はちっとも嫌いではない。若い時から沢山持っているし、今も愛用している。
 そうしたトレーナーはジャージとは異なるしジャージとは呼べない。では、ジャージとは何なのか、ウキペディアで調べてみたら、要するにそうした編み方のことであり、伸縮性のある編み方の生地のものをジャージーと呼んでいたとある。我はそこに素材も大きく関係していると思う。主にポリエステルなどの乾きやすく丈夫な化学繊維であり、それもまた嫌う理由なのである。
 ところがそんなものがいつしか、日常着となって広く老いも若きも着るようになってきた。ウキベデイァにはこう付帯的に記されている。
 
 『ファッションウェア化=もともとはトレーニングウェアとしてのジャージーはスポーツのために作られており、ファッションウェアとして認識されることはなかった。

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[日々雑感]

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