反共アレルギーと、よりましな自民党的なものを選ぶということ
2021-11-01


★2021年衆院選で考えたこと

 10/31日、昨夜の投開票日は、久々に山梨へ出かけ帰ってきたので、その疲れもあって最終的に確定した結果、議席数など全てまだ出てない段階で、零時過ぎに大勢だけ見て寝てしまった。
 いま、明けて11月1日、早暁に起きてこれを記している。いや、まだ外は暗い。
 ♪夜明けは近い、とサビで繰り返すうた「友よ」が昔あったが、夜明けはますます遠くなったようにも思える。

 端的に言えば自公政権と維新の勝利と、野党連合の敗北という「結果」として総括して良いかと思える。
 今回の総選挙に関しまだ詳しい論評や分析などは一切見ていないが、政権選択選挙で「政権交代」を訴えた野党勢力は、残念ながら当初の予想より全然伸びなかった。代わりに、よりましな自民党的なもの、維新が大躍進した。
 これは先の菅政権下での、東京都議会議員選挙のときと同様の傾向で、自民党に嫌気さしている都市部の無党派層は、急進左翼野党連合よりも「健全野党」を選んだのである。「都民ファースト」的なものが今回は「維新」だったということだ。※が、我は、維新こそ、健全野党どころか、ファッショ的右翼政党だと考えているが。

 昔ならば、選挙が終わるたびに無念さのあまり泣きはらした目で朝陽を迎えた我であったが、いまは、政治というものに距離を置いていることもあって冷静にこの状況を見ている。そのうえで思うところをあれこれ書く。

 機を見て敏ならざるは・・・、という言葉があるが、前菅首相は、コロナ禍中ということもあって、首相就任時のご祝儀相場、高支持率のときに衆院解散しなかった。そしてご存じのように自らの発信力の弱さから党内からも不人気のあまり僅か一年で政権を投げ出し、代わって岸田新首相が登場した。
 言うまでもなく岸田新首相は新政権の組閣はしたものの何一つまだやっていない。
 だが、自民党は看板を変えただけで、何一つ変わった実績もないのに「新しさ」と「変革」を売り物に、安倍〜菅政治は「過去のもの」として早期に選挙戦に臨み結果として無事安定多数の勝利をものしたのである。※むろんそこにコロナ禍が再燃しない今のうちに、という思惑も大きく関係している。
 先の菅首相の下では、低支持率もあって、もし解散したらば、まさに政権交代も可能であったかもしれないが、安倍元首相らの野党共闘を不当に批判する「反共キャンペーン」も功を奏して、左翼的野党は停滞し、代わりに右翼政党が伸長したのである。
 我はこの結果に、日本人的心理の特性をみる。

 これまでも選挙の都度書いたと思うが、この国では、自民党というものが多くの国民の間で、デフォルトとなっている。デフォルトという意味は、この場合、「基本設定」であり、自ら設定を新たに変えない限り、ずっとそのままなのである。
 それは特に地方、東北や北陸・山陰などで顕著であり、東京でも青梅や奥多摩など、「田舎」では、自民党であることが当たり前であって、共産党なんてトンデモナイ、検討にも値しない精神構造が今も続いている。
 これは江戸時代から続く、庄屋や名主、かつてのお殿様が檀家制度と相まって、かつての旧支配者層がそっくりそのまま保守ゆえに自民党に移行したもので、そこにあるのは「家柄」だけでかつての農民は無意識無選択に、その候補個人の人格は関係なく代々世襲で当選させてきたのである。
 そのように「地方」では、「無党派層」というのは、基本存在しないが、人の移動が激しい都市部ではそうした「常態」は成り立たない。
 様々な職種が存在し多様なライフスタイルが許されるようになると、基本自民党というデフォルトは誰だって疑問に思えてくる。じっさいに公共投資優先などの旧い政治は、都市部では通用しなくなる。
 その多様な生き方、個人の生き方や要求を反映させるのが政治の在り方のはずなのだが、じっさいに政治権力を握っているのは、老人ばかりで、若者たちやマイノリティなどの声は政治に反映されてこなかった。

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[日々雑感]

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