少しづつ少しづつ善き力に囲まれて・続き
2021-07-02


★当たり前のことを、当たり前に〜悪しき愚かなことどもを遠ざけていく

 それにしても政府自民党、菅政権の五輪開催にかける「情熱」、いや「執念」には呆れ果て、今では驚嘆恐れおののくものすらある。
 開幕まで一か月を切っても未だに観客の数は、無観客とするのか、それとも一部無観客となるのか「迷走」中で、また後ほど決めるのだと言う。
 バカも極まりと言うしかない。コロナの感染状況に振り回されて常に後手後手、場当たり対応に終始している。これは昨年からずっとである。
 これでは観覧希望者も協力するボランティアたちも予定が立たず、どこもかしこも迷惑するだけではないか。
 おまけに鉄道も深夜まで動かすとダイヤを変更させてしまった。オリンピックだけは不要不急の移動ではなく別枠ですか。ウィルスは五輪に協力して大人しくしてくれますか。

 開催などせず、最初から早めに中止にしてしまえば、これほど混乱、迷走することなく腰据えてコロナ対策に専念でき、国民もならば、と協力もできただろう。
 コロナがいつまでも収束せず、何度でも何度でも「緊急事態」となるのは、そもそも都や県知事レベルの失態ではなく、国の方針が定まらないからだ。
 ブレーキとアクセルは同時に踏めない。そんなことは誰だってわかる。
 ところが政府は、コロナがやや収まりかけるとすぐ宣言解除したり、完全に終息していないのにGoToキャンペーンで国民の移動を推奨したりと、経済を回すことを優先させて来た。その最後の「仕上げ」が五輪開催なのである。※国民にはずっと様々な「自粛」をさんざん強いたうえで。
 結果は今に至るように一年半が経過してもコロナは収束せず何度でも何度でも感染拡大は繰り返して、今も国民の命よりも経済、金儲けが優先されるのか、と非難ゴウゴウである。

 まあ、国民よりも献金してくれる大企業の方に顔を向けて、彼らのために働くのが自民党なのだから当然なのだが、そろそろ本当に彼らを長年支持して来た人たちも、これはオカシイ、どうかしている、このままでは殺されてしまう、日本はハメツしてしまうと、選挙で声を上げてほしい。
 そう、当たり前のことを、当たり前に、多くの国民が願い望む政治にしてほしいと切に祈るしかない。

 と、エラソーに、今は、こうしたことをしたり顔で書いている自分だが、このブログを長年お読みいただいた方はご存知のように、我はこの社会から脱落した落ちこぼれ、反体制以前に反社会的人間であった。
 学校も仕事も何一つ続かず、若いときから自分勝手に、好きなことだけしてきた。だから世の真っ当な人たち、社会人たちからは相手にされず、結婚もできなかった。
 幸いにして盲目的に我を愛してくれた親たちと借家ではない「家」はあったので、今はその家で暮らしていけるわけだが、本来はホームレスどころか浮浪者になっていてもおかしくない人間なのである。
 今だから書くが、我にとって社会は常に敵であり、その真っ当な生き方が自然にできている人たちにいかに抗うかが生きる意義でもあった。
 だから昔から悪しきもの、ヘンなものに魅かれ、常に人とは違う道をあえて選び、当然のように苦労して来た。
 だが、物心ついて半世紀以上経ち、齢六十を過ぎてそろそろ人生の終わりも見えてくると、今までの自分の人生は何と浅はかと言うべきか、愚かであったとつくづく気がつく。
 無意味だったとは思わないが、ずいぶん無駄に時間と金と労力を費やして来た。そして相変わらず若い時から先の見通しは甘く、物欲ばかり強く、あれもこれもと見果てぬ夢を追いかけてきた。しかし、そのための努力は怠け者ゆえ何一つせずに。

 しかし2016年の母の死をきっかけに、ようやく子供時代から続いていた「夢」は冷めてやっと「現実」に向き合うことになった。いや、父も呆けて何の助けにもならなくなって、嫌でも自ら現実に対処せざる得なくなったのだ。

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[日々雑感]

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