2021-05-22
★とりあえず眼前の危機は乗り越えられたか〜まだ何とか生きている。
このところ、一週間もずっと雨もよいの日が続いている。
まだ関東は梅雨に入っていないはずなのだが、しとしとと弱い雨が断続的に降ったりで、時に蒸し暑く、ときに肌寒く、気持ちも天気同様スッキリしない。
暑い日は夏日になるほど暑くなって、朝晩との寒暖差も大きく身体がまだ対応できていない。
不順で安定しない天候も関係してか、我の寒暖差アレルギーもだが、高齢の父はこのところ体調崩してどうしたものか対応に追われていた。
が、幸い何とかまた今朝から介護施設に送り出せて、向うから特に連絡もないのでやっと今は一安心、安堵の気持ちで久々にブログに向かっている。
今さらだが、今月、このところの近況も含めて、「これから」のことなど書き記していきたい。
コロナ禍など関係なく、相変わらず多事多難の人生は続いている。
まずは、我が父のことだ。
年寄りは、自ら体温調整が難しいと言われるが、気温が高い日は、体温が常時37℃台前後となって、なかなか下がらない。
軽い熱中症気味となって身体もほてり、このところの父は何か怠そうである。が、何とか冷房入れて対処するとして、それよりも問題は、飲食時の〓み込みがさらに悪くなったことだ。
食べ物を口に運ぶ都度、ゴホゴホと咳き込み、ときに喉に詰まったからか突然吐き戻してしまう。そんなことが続いている。
自らに任せていると苦しい故食べなくなるから、ますます痩せていく。仕方なく我が傍らに付いて、飲み物と食べ物を咽ないよう交互に食べさせなくてはならない。一回の食事に、食べさせるだけで一時間はとられる。
若い頃からの健啖家で、老いて来ても彼の弟や妹たちも呆れ果てるほど食べられた人だった。昔で言う、六尺男、約180p近くもあり、一時期は体重も80キロ近くあった。
が、加齢とともにしだいに痩せ衰え、10年前の大腿骨の粉砕骨折以降、歩行が難しくなったこともあって、この数年は、常時60キロ前後で推移していた。
しかし、先月から吐き戻すことも多かったからか、一気に体重が落ちて、今月の施設内での計測では、55キロとのことで、いよいよ゜危険水域」に入って来た感がある。
着替えさせるとき裸にするとまさに骨と皮で、頬もこけてきて体脂肪はほとんどないと思える。
そして食事中もだが、朝起きてもやたらうとうと眠ることが多くなった。
やがてこのままひたすら眠り続けてそのまま逝くのであろうか。
このところメディアでは、かなり高齢の、百歳近くの著名人の訃報が続いているが、そのどれも「老衰死」であり、特に大きな進行性の病がなければ、おそらく誰もが我が父のように、百歳前後までともかく生きながらえて緩やかに死んで行くのであろう。
我が母のように頭はしっかりしていて、癌などの進行性の病で死期を迎えるという死は耐え難いが、父のように何もかもできなくなって何もかもわからなくなって「なし崩し的」に死んで行くのもいかがなものかと思える。
むろん迫りくる死の恐怖、死の受容は、当人は何も感じないのだから心身共に苦痛もなく、ある意味、理想的な死に方であるのは間違いない。何もわからない、なにも感じないということは。
楽なのは、老衰死であることは当然だが、死は、当人自らの問題として、意識してきちんと向き合いたいし、周囲の人たちにとっても「そのとき」は、しっかりと迎えたいのではないかと我は思うのだが・・・
ともかく、我が父もこのまま咽て食べられないから食べなくても仕方ないと、ほったらかしにしてしまえば、さらに体重は落ちて衰弱していくわけだから、介護施設に任せるだけでなく帰宅時には、息子である我が親身になってできるだけ多く、しっかり食べさせないとならない。
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