たとえそれが悪しきものでも我に訪れるものは受け容れていく
2020-05-30


★これは書くべきか大いに迷ったが

 霊的な世界やモノゴトって果たしてあるのだろうか。こんなこと書くと皆さんお嗤いになろうと思う。
 我もいちおう科学的社会主義を学んだ者として、そんな目に見えない非科学的な事物は、まやかしだと断言もできる。
 が、この世には、科学的にはどうしても説明できないことや、目に見えない考えても理解できない不可思議なこともあるのは絶対的真実であって、理解できなくても起こる不思議なことは確かにある。それは否定できないし、あったのに、なかったという立場をとるのは科学的ではない。原因不明でもやはりそれは事実でなのだから。

 このところ真夜中に玄関のチャイムが鳴る。深夜の2時とかまだ夜もあけぬ暗いうちで、最初は耳の迷いとか寝ぼけたかと思ったが、まだ寝てないとき、日中でも鳴るときがあって、その都度玄関戸を開けて外に出るのだが、人の気配はなく誰もいない。深夜のときは小心者ゆえ怖さと不安で正直ドキドキした。いったい誰が何の目的でウチを訪れるのかと独り身ゆえ本当に怖かった。
 ちょうど父が介護施設にお泊りに行っているときでもあって、父の体調に異変が起きたのかもと、ならば携帯に連絡があるかと、枕元に携帯を置いて一晩眠れない思いもした。

 実は先日のこと、とある友人のところに車で出かけ、そこの不要荷物の運び出しをした。
 そこは都内の高層マンションで、棟の最上階14階だったと思う。廊下通路からエレベータで下まで段ボール箱をいくつか何回かに分けて降ろしたのだが、運んでる途中の廊下でつい下を見下ろす妙に引っ張られられる場所がある。何故か必ずそこで立ち止まって下を見てしまう。
 何か不安な感じがしたので、後で訊いてみると、数年前その棟の通路から飛び降り自殺者が出たとのことだった。我がつい引かれた場所はどうもそこらしい。
 それ以降である。真夜中に、いや昼夜を問わずチャイムが鳴るようになったのは。参ったなあ、である。何かを連れてきてしまった、何かが我に憑いているのか。それは単なる迷信か。

 俗にこの世にはスピリチュアルな世界に詳しい人とか、霊感体質と呼ぶべき人たちがいる。いわゆる、江原さんや美輪さんたち、亡き宜保さんたち霊能力者の本もたくさん古本屋として扱って手にしてきた。
 彼らのように霊視したり、ときに悪霊をお祓いしたりするのは嘘くさいと思うし、そうした霊感商法「ビジネス」は、基本狐狸の類の起こすようなもので、まったく信じてはいなかった。それはきキリスト者のはしくれとして当然であろう。神は唯一なのだから。
 ただ聖書にも、悪霊の類は多々記録されていて、憑いたものを弟子たちは追い出すことはかなわなかったが、イエスはできたとはっきり書いてある箇所がいくつもある。ならば霊的世界は確実にあるのである。
 また、これは一度はきちんと書き記したいとかねてから考えていることだが、アルカシックレコードというようなものは確かにあって、かのエドガー・ケイシ―のような特異な霊能力者が実在したことは事実であると同時に、そうした現代科学では解明できない「世界」は、確かに存在することは間違いない。
 ただ我はちっとも霊感体質ではないはずだし、そうした幽霊のようなもの、霊的なものは見たことは一度もない。ただ、感ずるときはある。はっきりわからないが、感ずるとしばらく体調がおかしくなる。これは事実として。

 もう何年も前のこと、先年亡くなってしまった、精神を病んでいた友人が入院を余儀なくされていた精神病院に何回か見舞いに行った。
 彼に請われてのことだが行くのも何故か気が進まないだけではなく、行った後は必ず心身ともに体調がおかしくなっていつも一週間は寝込んでしまった。

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[日々雑感]

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