2019-11-02
★苦難の歳月を受け容れていく〜まだできることとすべきことがある。
11月に入った。今頃になって秋めいて来たというのはおかしいが、ようやく秋らしい晴れて穏やかかつ爽やかな秋の日が続いている。
10月はともかく颱風が続いて来て天気も悪く、おまけに寒くて街行く人はコートにマフラーの冬の装いであった。
今年は秋がなく、このまま一気に冬が来るのかと心配したが、もう晩秋ではあるが、この数日やっと秋らしい日が続いている。有難いことだとつくづく思う。被災地の皆さんにとっても恵みの晴天であろうか。
私事ではあるが、このところ多事多難でついに人生行き詰ってしまった。そのことをどうこのブログで書くか、どこまで書くべきか迷っていたし、それ以前にとてもそんな気分にさえなれなかった。
何であれ、書き残すには、ある一定の結末、結果と余裕がなくてはとてもその「現場」にいるときは書けやしない。誰だってそうだろう?
どうしていいか出口も解決策もみつからず我が人生最大の危機とは大げさだが、記憶にある限り最も困惑する事態が生じた。
一つは、まず金のことだ。世間には何百万、何千万もの借金や負債を背負ってその返済に追われ家も家財もすべて失うという方もいるだろうし、また、自然災害で家も家族も失う方も多々いよう。
そうした人たちに比べれば実に些細な、小さなことで、嗤われても仕方ないが、自業自得とはいえ、いま、まず、ある件の支払いに頭痛めている。
ウチに今春、子猫が何匹も産まれたことは記したと思う。その中の一匹のキジ柄の雌の子が、先月初旬に交通事故に遭い、まさに瀕死の状態で帰って来た。
ウチの前の線路で電車にはねられたものか、後ろ足を大腿から切断する大ケガだった。太ももから骨が見えていた。血まみれで下半身の皮も総剥けていた。残った足も一部損傷、股関節も外れていた。
泣き叫ぶ子猫をともかく動物病院に連れて行き、ともかく診察を仰いだ。その時点で、極めて命の危険な状態であり、医師から残った部分を切断する手術をするか、それともこのまま安楽死させるか判断を迫られた。
その時の手術の見積もりは、20万円近くであった。我としては、ウチで産まれた子であり、そんな大ケガでも即死せずに必死に助けを求めて帰って来たのだから、みすみす死なすことは当初から頭になかった。ともかくできることはしてくださいと頼んだ。
それで大型台風襲来の10日、かなり長い時間かけて手術は行われた。残った部分は付け根から取り除かれ、皮膚を寄せ集めて縫い合わせたが皮膚の皮が足りなく剥き出しの箇所もかなり広く感染症や敗血症の可能性も高いとのことで、果たして治る以前に生存できるか医師は返事ができなかった。
そもそもウチに戻ってきた日より前に「事故」に遭ったようで、その部位は血は止まっていてやや腐敗も進み様々な菌に汚染されていたのだった。手術自体も体温が低下していて、輸血して何とか成し終えたとのことだった。
だからまずは果たしてその後も生き永らえるかまったく予想もつかず、我としては日々ただ神に祈り、生死はその御心に委ねるしかなかった。
が、毎日見舞いに、様子伺いに行き、当初はろくに口から食事もできなく一時期は元気もなく諦めたときもあったが、17日の頃から奇跡的にじょじょに回復の兆しも見えしてきて、こちらの呼びかけに反応も大きく確かになって、ようやく命の危機は脱したようだと、点滴の管は外され、このところは自力で餌も食べるようになってきた。
やれやれ、だとほっとした。まさに神のご加護があった。が、当然のこと、保険のない動物の入院治療であり、次の問題はその支払いである。
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