泣きたいような、眠たいような〜二か月半ぶりの山梨で・追記
2019-04-05


★人生はここからまだやり直せると信じ願って

 これまでも我マス坊自らの失態、失敗は繰り返し拙ブログで書き記して来た。これでも包み隠さずできるだけ正直にありのままに、だ。
 しかし改めることできずまた性懲りなく繰り返すのならば、いったいそこに何の意味があるのだろう。ただ愚か者の愚痴でしかないし、誰にとっても無意味で呆れ果てられよって誰も読みもしない。
 自分でもうんざりだ。

 が、これが最後の気持ちとして書き記しておく。たぶんもうこの先はないし、またも繰り返すならば、このブログも終わりにしていくつもりでいる。
 自分がとことんダメで、どうしようもないということは、能力の問題ではなく、人格の問題として、これはどうしたものかと、自分でもずっと頭痛めている。
 「能力」に限って言えば、我は決して劣等ではないと信じる。基本、バカではあるけれど、何かを表現する能力は、並以上のものがあると信じたい。それは企画力も含めての話として。
 だが、一番の問題は、この歪んだ性格で、とにもかくにもきちんとしたことがまずできないことに尽きる。つまり、整理整頓から、何かの維持管理、先行きの計画施行といった、人として当たり前のことが全くできない。
 つまり、まず「片付けられない症候群」であり、自らの人生を自ら維持管理できないのである。
 それでも還暦の歳まで何とか生きて来れたのは何とかなったからだろうという声もあろう。しかし、それは恥ずかしい話、我が母がいたからであって、家庭生活全般は、亡き母に一任し、母が我家を万事維持管理してくれていたから、父も息子も我らのこの家は何とか生活が人並みに成り立っていたのだった。
 その母が2016年に癌で逝き、男たち、つまり呆けて要介護の高齢の父と我は残され、この家の維持管理はすべて我一人で担当せざるえなくなった。
 そして当然のように全てが破綻した。家事は我だって母が生きていた頃から洗濯も炊事も一通りはできる。しかし、日々の掃除や税金、光熱費等の支払いなど対外的・基本的な生活の管理、生きていくためのきちんとしたことは、我はまったくできず、管理処理能力がない故、経済的にまず行き詰ってしまった。我が家はゴミ屋敷と化した。

 そして、それでも時は過ぎる。母の死後の一時期のPTSDも癒えて、今はようやく我が人生再建の緒についてきたということはこれまでも折々ここに書いて来た。これから何とか人生をきちんと管理して維持していく、残りの人生を頑張ろうという気持ちに嘘偽りはない。
 しかし、まだやはり根本のところは、相変わらずダメで、モノは溜まる一方で、まさにまだ収拾つかず、このところ父は、施設に預けられることが多くなったので、だいぶ手はかからなくなったものの、我が人生、生活の混乱度の改善の兆しは見えたとは正直言い難い。

 これまで本であれ、何であれモノが溜まると、山梨の倉庫に「とりあえず」車に積み込み運ぶということを繰り返してきた。当然向うも天井高くまで本や雑誌類でいっぱいになってきて、まさに汗牛充棟、足の踏み場もなくなってきてしまった。
 それらはゴミではなく、まずは「商品」として値が付き、「動く」ものか、まだきちんと処理、分別、確認もしていないのだ。商売柄、ウチには次々紙モノが常に入って来る。だが、我は父のことや音楽企画などでともかく時間がなく、それらをきちんと分別処理していく時間がなく、昔も今もモノは溜まる一方なのである。
 つまるところ根本解決せずに、ただ生きて時間だけが過ぎてモノは常に溜まり続けることを繰り返してきた。そう、使用済み燃料の処理先を考えずに原子力発電所を稼働し続けるように。

 ともあれ、今回も積み込んだ本や雑誌で車の中がいっぱいになってきて、ともかく山梨へ行き、向うに運び込まないと、という「状況」になってきていた。

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[日々雑感]

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