無頼庵クリスマス謝恩パーティ2018ともかく終了す
2018-12-24


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★最低最悪の一日が、最善最良に。

 日付は変わってしまったが、23日の、拙宅でのクリスマス謝恩ライブパーティは、無事に終わった。
 今さっき、最後の一人、同じ市内に住む方が帰られて我はともかく寝ようとベッドに入ったものの、気が昂ぶりまだ眠れそうになく、ともかく今日23日の報告をすべきと考えた。

 あれこれ今日に至る状況や心境を書いて来たが、情けないことにまったく片付けられなかった。※実際、12/12日に老犬が死んで、翌週、笠間から「社員」氏を招いてから本格的に作業は始まったのだった。
 基本、テーブルを囲んで椅子を並べるスペースを作って客人を招くわけだが、とてもそこまでいかず、ついに当日となって早朝から起きたものの、気は焦れどもどんなに必死で一人でがんばっても遅々として進まなかった。ギターやレコード、そして本や雑誌、さらに未整理の紙もの類などともかくモノが広い部屋に散財しやたら有過ぎるのである。

 夕刻、午後4時頃には早く来る人は来てしまう。それまでが勝負でまさに時間との闘いで、時計見めながら必死に一人で、ともかくスペースを空けようと、本や雑誌は重ねて、積み重なった紙ゴミに近しい書類は手当たり次第に箱に詰め、階下の母の死んだ四畳半の板の間におろしていく。紙類は基本捨てるものだが、いちいち一つ一つ確認している時間はない。後ほど改めて見ることにして、ともかく詰めていく。
 が、今晩出す予定の料理の材料や紙皿、紙コップなども足りないので、昼近く、犬のベルコを連れて散歩兼ねて自転車でやや遠い多摩川に近いOKストアに出向いた。
 昨日に続いてどんよりとした曇り空で、ときおり小雨がぱらつく。さほど寒くはないけれど、買物の帰り道、いったいどうなるのか、果たして客人が来るまでに何とか片付け終えられるのか、と不安な心地で見上げた鉛色の空は生涯忘れないだろう。

 恐怖にも近い不安、焦燥感を抱えて昼過ぎ家に戻り、玄関を開けてカラの段ボール箱を庭先に投げ出していたら、1時頃突然来客があった。
 長年の友人、我を両国フォークロアセンターに案内、紹介してくれたベテランフォークシンガーOさんである。
 何か手伝いありますか、と早くも来てくれたのだ。突然のことであったが、まさに地獄に仏とはこのことで、彼と二人で、手分けてして二階広間の片付けが始まった。彼がともかく一切合切とっちらかって場所を塞いでいる物を、箱詰め袋詰めにしてくれて、我がそれを階下の小部屋に運び込む。そして空いたスペースに掃除機かけていく。文具も工具も小物もすべて一切合切箱や袋に詰めて下におろし、四畳半にはおさまりきらず結局、不在の父の部屋にまで押し込む羽目となった。

 そしてその後に、またパーカショニストの友人M氏も早めに来られて、お二人に二階広間は任せて、我はトイレ内や冷蔵庫の中の片付けなどやっと取り掛かることができた。
 イラストライターのM嬢もお手伝いに来てくれたが、台所での調理に専念してもらった。が、あまりにとっちらかったままの大台所には呆然かつお怒りであった。まあ、それもごく当然である。何しろ汚れた流し台の掃除から溜まった皿洗いまでさせたのだから。二階の場所づくりに必死に追われて、彼女に何の指示もできなかった。そんなで台所も惨憺たる有様、手つかずのままだったのだ。

 そしてついに夕暮れ時となり、詩人のO氏が、うたうバイオリン弾きM嬢、コミックソングの笑えるダンディ氏と、我とごく親しい大切な旧知の仲間たちが次々来られて、総計で10人の来場となった。いちばん適度な理想的人数ではないか。
 とにもかくにもテーブルを囲んで椅子を並べることができた。むろん一部はまだ未整理のガラクタは山積みだったけれど仕方ない。何とかパーティが開催できる空間がつくれた。これで人が集まり寛げる。やっとほっとした。

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