2018-12-01
★壊れていく父はいつまで「人間性」を保てるのか
今朝、父をショートステイに送り出し、今日は久々に一人でやっと落ち着いた心満ちた気分でいる。※といってもまた階下でトラさんが啼きだしたが。
父は今週は月曜の夕刻からずっと家に居て、さすがに五泊もずっと介護しているとほんとうに気が休まらない。老犬トラさんの夜啼きと相まって、Wで交互に騒ぎ立てるので眠りがとれず睡眠不足は限界に達した。
信号無視でまた切符切られるは、転んで膝をしたたか打ち付けるは、懐も身体も痛い目に遭い、何とかこの月末を終えられた。
今日は昼に、近所の家系ラーメンのサービスデーで、無料のライスもたらふく食べて、久しぶりにとことんたっぷり食べたという満腹感を得た。
父がいるときは、その世話に追われてゆっくり座って食事したことはない。常に作りながらか、つくった料理を立ったままつまんで、それで済ませるか後は、せんべいなど菓子類で小腹を満たすとかして、一日一食きちんと食べられるかどうかだ。
夜は夜で、いつ犬や父に起こされるかわからないから、このところは服は着たままで、耳すませながら夜警の仕事の仮眠的浅い眠りしかとれない。
まあ、それは母の死の前後もそうであったし、けっきょく「それから」以後、我には二度と心休まる、のんびりしたとことん解き放たれた気分のときは失くなってしまったということだろう。
しかしそれでも今日の夕方、北からの強い風に吹かれながら、我家のケヤキの褪せた葉が、一気に散り落ちていく光景を眺めながら深い深呼吸して久方の解放感を味わえた。
さて、呆け、つまり認知症が進んでますます手がかかるようになってきた我が父について、今さらながら日々新たな驚きと憂いがある。
考えてみれば、我は90代半ばの人間と暮らしたことはなかったし、周りを見回しても親族も含めてそんな事例はどこにもない。
我が母方の祖母は、百歳近くまで生きた人だったが、晩年は病院施設をたらい回しにされていたから、その娘や息子たち、つまり母の兄弟も共に生活して世話したのは八十代半ばまでではなかろうか。
じっさいこんな歳まで我が父が生き永らえて、しかも共に我が家で生活し一人で面倒見ることになるとは、まったく想像すらしなかった。迅雷と言うのはまさに不可解で予想もつかないものだとつくづく思える。
我のプランでは、認知症の父がまず先に逝き、元気な母と二人暮らしがある程度長く続くものと考えていた。まあ、母は父より五歳ほど年下だったし普通女の方が長生きなのが当たり前なのだから、我の予測はあながち甘いとか判断ミスとは言えないはずだろう。
男同士、それまであまり仲の良くなかった親子が二人で暮らす大変さについてはいくらでも書けるが、それ以前に、このところ痛切に感じているのは、呆けの進行による人格崩壊とも呼べる異常行動である。
昔は、認知症のことを、痴呆症とも呼んだ。つまり、呆けが進むと、やがては痴呆に、つまり何もわからないバカになってしまうと考えていたのである。
しかし、それではあまりに差別的だとか、呆けても意思や感情はしっかりあるのだから、痴呆になるのではない、という認識・理解が進み、認知症なる表現が今では一般的になった。※「認知症」という名称では正しく状態を表していないと考えるのは我だけか。認知不能症なり、認知衰弱症というのが正しいのではないか。
でも我に言わせれば、このところの父の言動は、何もわからない状態=痴呆どころか、訳の分からないことを言い騒ぐ=発狂してしまった「キチガイ」状態というのが正しいとさえ思える騒動をしでかしている。
確かに、我が父の場合、九十半ばまで生きてしまうと、ろくに歩けないし何もできないし何もわからない、そしてろくに食べられないという、ほとんど何もできない、わからない状態である。
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