オウムがサブカルとして身近にあった時代・中
2018-07-17


★オウムを面白がっていた、あの頃のバカな自分

 オウム真理教幹部らが起こした事件で、首謀者の麻原彰晃こと、松本智津夫らに死刑が執行された。
 一度に7人というのは、あの大逆事件以来とのことで、我はむろん麻原らが無罪。冤罪だなどとまったく思わないが、比べた時に何かそこに昔も今も変わらない国家権力側の強い意思と思惑が感じ取られただただ嫌な感じがしている。
 我はもとより死刑廃止論に与する者であり、今日のように、自らは自殺ができないがため、死刑を求めて無差別に誰でもいいから殺人事件を起こすなどという論外の事件が起こる時世では、まさに本末転倒だと言うしかない。
 死刑はあくまでも被害者遺族のための心理的「報復」であり、死刑制度があれば犯罪は減少化、抑止できるということはまったく当たらないと考えている。
 どのような犯罪であろうとも犯罪を起こす者は、逮捕されることはまず想定しないだろうし、まして捕まったら死刑になるから、と考える者はそもそもそんな犯罪は起こさない。

 さておき、テレビや新聞の報道では、そうした死刑に値するオウム真理教の起こした数々の凶悪な事件のみが報じられ、ネット上の検索だと、麻原は、日本のテロリストとして記述されている。
 確かに国家転覆を狙って数々の凶悪かつ無差別な殺人事件を起こしたオウムであり、その代表ならば、テロリストということになるのかもしれない。が、どうにも違和感がある。彼は、やはり最後の最後まで宗教家、それも極めて歪んだ、狂った宗教家だったと我は思う。
 今の人は、今回その死刑報道から彼らのしでかした数々の凶悪事件を知って、そういう狂信的テロリスト集団がかつては存在して「浅間山荘事件」的に事件を起こしたのだと思うかもしれない。
 が、それは違う。オウムとは一時期、極めてこの日本社会に溶け込み、合法的に活動しマスメディアにもしきりに登場し、特に当時の若者たちにかなり注目されていた存在だったのである。
 そうした「前段階」「表の顔」もまたきちんと記録し書き残しておかねばならないはずだと我は思う。

 考えてみれば、オウム逮捕のきっかけとなった地下鉄サリン事件が1995年なのだから、もう四半世紀近く経つ。ならば今の若い人のみならず、30代、中年の人でさえも事件が起きた頃は子供で、その社会状況はよく覚えていないかもしれない。
 だからこそオウムの犯した特殊かつ前代未聞の凶悪犯罪が、「裏の顔」だとすれば、そこに至るまでの「表の面」の彼らのことを書いていく。
 そう、かつての一時期、オウムは間違いなく一つの社会現象と化していたのである。

 オウム真理教、という新興宗教団体の名がマスメディアを賑わすようになったのは、1980年代の終わり頃からであったか。
 まずはチベットのダライラマと並んだ麻原のツーショットの写真をよく見かけるようになった記憶がある。またすぐに宗教特有のトラブルも多多く報じられ、弁護士たちが動き出し批判記事も多く見かけるようになった。
 が、1990年の衆院選に、彼らは尊師自らも含めて大量に立候補して大きくマスコミに注目された。※結果は惨敗であったものの。
 そして彼ら特有の耳慣れない「オウム用語」がメディアに多数登場して来る。選挙に出てきた幹部一人一人の奇妙なホーリーネームもだが、ガネーシャからイニシエ―ション、マハーヤーナ、ニルバーナ、ハルマゲドン、サティアン、そしてボアする、まで、その多くが「流行語」となっていった。

 テレビをつければ、広報担当の上祐氏のみならず幹部連、青山弁護士もよく出てきたし、書店に行けばオウムが出した関連書籍のコーナーがあり月刊誌も出ていて平積みになっていた。彼らは自前の出版社があり大量の出版物を出していたのである。
 今では皆が口を閉ざしてしまったが、名のある宗教学者や文化人が彼らを支持し擁護する発言も多くしていた。

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