はじまりのとき、おわりのとき・前
2015-05-02


★「過去」という歴史に個人もまたどう向き合うか          アクセスランキング: 167位

 汗ばむ陽気のゴールデンウィークである。どうお過ごしか。

 ようやく、借りていた長屋のカギを大家に夕方返却して物置の賃料だけ支払った。これで毎月数万円だが、支出が減る。いくらか生活が楽になる。大家からタケノコも貰った。今年初物だ。

 だが、まだ物置の中にもコミックス、古雑誌類を中心に、まさに汗牛充棟、天井近くまで古本がびっしり詰め込まれている。が、移動だけならトヨタレンタリースでいつものライトエーストラックを借りれば一日一回だとしても3回ほどで終わるかと思う。そこも早く返せばより経済的には楽になる。

 問題は、移動させても山梨の古民家にそれを置くスペースがないことで、居間でもどこでもかまわず押し込めば入ることは入るけれど、そうすると行っても生活する空間がなくなってしまう。
 まず先に運び込んだ長屋から運び込んだ分を整理分別、処分するものは捨てて減らしていかないことには次へと進めない。
 そうした残務処理が膨大に残っていて、今この家の庭先も長屋の縁側の下に押し込んであっセトモノ類や食器、カップ、フライパンなどでゴミ屋然と山積みされたままだ。
 こちらもそれぞれ残すか捨てるか分別、判断して、不燃ごみの袋に入れて捨てるか、山梨へ運ぶかしないことには片づけがおっつかない。
 春先はただでさえやることがいっぱいで、おまけに冬物と春夏ものとの入れ替えもあるのに、何一つできないままにこの暑さが来てしまい呆れ嘆いている。

 けっきょく、今回も時間がなくて、とにもかくにも大雑把に分別はしたものの、山梨のほうへ移動だけで終わってしまった。
 向こうも今、本の山でスゴイことになってしまっている。本当に無価値なものは紙ゴミとして北杜市も再生紙用に無料で回収するので結えてゴミ置き場に持っていけばよい。さすればたぶん半分近く減らせるかと思う。
 それがなかなかできないで溜まる一方なのは、一冊一冊そうして価値を検索して分別処理する時間がなかなかとれないからで、つまるところ判断保留のまま溜まれば、倉庫に運び、今回もまた山梨へさらに移動してしまったのだ。
 フツーの人なら、読まない本、読み終えた本、自らと無関係な本や雑誌は右から左へゴミの日に出してしまうのだろう。我はそれこそが商売の肝で、あちこちからそうした本を集めては検索かけては値が付き売れる本をネットマーケットに出品して小銭を稼いで糊口をしのいできた。

 それで値がつかないからといっても、状態が良かったり、Amazonではなく自店舗扱いで売りたい本もあって、即処分――以前はブックオフに持ち込んでいたが、――とは一概にならない。ときに相場も刻々変わるから後で再検索してみると高く出せることもある。
 そうした判断保留の本は溜まる一方で、今のような身動きとれない状況になったとも言えよう。

 それらは商売に関する本のはなしで、自分は様々な古いものコレクターでもあるから、個人的に捨てずに保管してきたもの、集めてきたものもボー大にある。今回の移動では嫌でも過去のそうしたものと向き合う結果となった。

 自分はレコードコレクターでもあった。そして、主に80年代は、ベータのテープで、テレビ録画にも夢中になっていた。そうしたビデオテープとレコードの箱が長屋から自分ですら呆れ果てるほど出てきた。

 レコードも昔、数寄屋橋の中古レコード店ハンターなどに足繁く通って買い求めたもので、おそらく買ったきり一度も聴いていない。むろん買うからには聴くために、聴いてみたい、欲しいと思い買うわけだが、他にも聴くものはたくさんあり、レギュラー的にターンテーブルに乗るのは決まってもいたので、たいていは買ったまま箱詰めにされていき、家の建て替えで長屋に運ばれていたのだ。


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