大震災から五ヶ月が過ぎた日に
2011-08-11


★人それぞれの生活の柄

 今日も朝から猛烈に暑い。7時過ぎると焼けつくような陽射しが照りつける。
 昨晩は冷房を入れて早めに寝て久しぶりにぐっすり熟睡できた。
 こうして狭いベッドであろうと、誰にも気兼ねせず手足を思う存分伸ばして眠れるのは実に有難いことだとつくづく思った。今も避難先で個室など持てない暮らしをされている被災された方々には本当に申し訳なく思う。
 短くとも家を空けて移動のバスの中や現地の小屋の中で仮眠としての浅い眠りをとることになって、改めて睡眠の重要さを痛感した。食べることの大切さと同様かそれ以上に休養と回復のためにも眠ることの質と量の確保に人はもっと気を配るべきではないか。


 ご存知、高田渡のうたった和製ホーボーズソング『生活の柄』の原詩は沖縄の詩人山之口獏のものだが、浮浪者は夏はどこでも草叢の中でも眠れたが、秋になり寒くなっていくと野外では眠れないとうたっている。また、「長距離トラックの響きがオイラにゃ子守唄」というフレーズを記憶する『ホーボーズララバイ』など旅での眠りはよく唄に歌われている。が、我が身に置き換えるとこれはじっさいのところはかなり辛いと言わざるえない。

 増坊は近年、全国どこでも出かけなくてはならないときは、まずは深夜の高速バスの便があるかネットで値段とルートを調べ一番安い便を利用している。都心を夜11時頃に出て、目的地に早朝着くというのは一泊分の宿泊費と交通費が一緒になったようなものだから肉体的に辛くても安さ至上主義でトイレ無し四列シートに乗って大阪でも徳島でもどこでも行っていた。

 しかしこのところ件の詩に倣えば、「この頃は眠れない。高速バスでは眠れない。寝たかと思うと寝たかと思うと、トイレ休憩で起こされ眠れないのです」なのである。四列シートは当然のこと狭いわけで、まったくの他人と肩を寄せ合って眠らねばならない。隣がデブだと窮屈で押し潰されそうだ。窓際の席ならともかく通路側なら停車の都度揺り起こされる。
 登山も趣味であった自分は山小屋にも多く泊まったことはあるが、あそこも狭いことは狭いがとりあえず眠ってしまえば車の振動などはないから熟睡してしまうし出発まで自らの意思以外起こされることはない。

 それでも昔は高速バスでも眠れたように思えるし、大して辛いと思ったことはなかった。あくまでも格安の移動手段であり、たとえ次の日がしんどくとも安さと朝着くという利便性は魅力的だったからだ。
 しかしこのところはそうした「生活の柄」が回を重ねるごとに辛くなってきたようで、今回の三泊旅行は、現地できちんとしたホテルで眠らなかったこともあって睡眠に関してはある意味地獄だと思ってしまった。要するにそれだけ老いてきたということなのか。

※長くなったのでもう一回続きを書きます。
[日々雑感]

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