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★後藤文雄神父は、9月17日に亡くなられました。亨年96歳。
もう既に吉祥寺界隈の事情通の方々はご存知かもしれないが、故高田渡とも縁の深かったカトリック吉祥寺教会の、ごっちゃんこと後藤神父が亡くなられました。
昨日、立川教会のミサの終わりに、お知らせとして、先日訃報のファックスが遅れて届いたと告知があり今さらながら知らされた。
既に吉祥寺教会にて、通夜及び葬儀ミサ、告別式も先月の22日、23日に終わっている。
ごく簡単に説明すると、後藤神父は、長らくカトリック吉祥寺教会の主任司祭として終生その教会で過ごされ、クリスチャン、パウロ・高田渡の葬儀を司った方としてだけでなく、その後も本来厳格なはずのカトリック教会のその大聖堂内で、渡氏の友人知己による追悼コンサートの開催も許されたほど音楽に理解あるとてもユニークな神父であられた。
後の「生誕祭」にも参加されていたので、クリスチャンでなくてもその名とお姿はご存知の方もおられるかと思う。
我は、彼と個人的には親しく語らう機会はなかったが、高田渡を通して我もまたキリストの僕、その端くれとなるきっかけを与えてくれた恩人であり、97歳という年齢とはいえ、さまざまな思い出と深い感慨がわく。
後に、菊池大司教、枢機卿とお会いした時に、その話をしたらば、神の計らいは我々にはわからない、まさに驚かされると語られて我もまたそう思えた。
我は今は諸々事情あって、吉祥寺教会へはなかなか行けないが、彼は晩年まで、天気の良い日には、吉祥寺教会入り口右手の、マリア像に続く回廊の藤の樹の下のベンチに座って、信者のみならず訪れる方誰にもきさくに語らい福音を授けていたとのことで、まさにその姿は生ける聖人のようであったときく。
ごっちゃんと皆に呼ばれ、誰にも愛され親しまれた彼の生涯は、その自伝本に詳しいが、厳格かつ堅苦しいというイメージの強いカトリック教会を誰にでも開かれた、赦しの門として開放した功績はとてつもなく大きいと我は思う。
個人的な事だが、彼は昭和4年の生まれで、我の母と同年同月の生であった。2016年に癌で死んだ母がもしまだ生きていれば、今年で96歳だったのか。
これで今年の哀しみの月は、すべて終わったことになる。
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