2025-09-07
★訃報相次ぐ今年の夏
というわけで、6月末、本格的な夏を前にしてようやく長いトンネルから抜け出せたとおもっていたらば、愚かな我は近場で交通事故を起こしてしまいまた新たなトンネルに突入してしまった。
不安神経症の苦しみはまた後ほど記すとして、この夏は訃報が続いている。
7月の中ばに、亡き母の弟、我にとっての叔父が82歳で亡くなったと、その家族から連絡があったら、8月末には、母のすぐ下の妹が92歳で逝き、我は今月4日、葬儀に千葉の習志野市まで行ってきた。
叔父の時は、家族葬だったので香典だけ送ったが、49日の納骨には参列するつもりでいたら、今月ではなく10月となったとのこと。
その叔父と叔母とは、家族ぐるみで懇意にしてたので我は幼い頃から親しみ、従妹たちとも遊び、特に叔父は無類の本好きだったので、古本屋巡りの楽しみを教えてくれた恩人でもある。
2016年秋に逝った我が母の葬儀には来てくれた妹弟二人がこの夏次々と亡くなるのは、高齢だから仕方ないことだとしてもやはり哀しくさびしい。
そう、母が死んで来年で10年となるのに驚く。まさに光陰矢の如し。
母の姉弟は、母が長女でその下に女3人弟3人という7人姉弟で、戦時中とはいえ現在では信じられない大家族の兄弟姉妹であった。が、若くして長男にあたる弟が癌で逝き、次いで母もまた癌再発で死に、今夏の二人で、残るは3人となった。
その叔母には、母のことや祖母のことなど聞きたいことや知りたいことがたくさんあったのだが、なかなか連絡も取れないうちにこの逝去となり残念と言うしかない。
親族ではないが、このところやや疎遠であった我が親友Oさんも亡くなっていたことが今夏その家族からの報せで判明して愕然とした。
その彼とは某クラブ仲間として出会い、個人的にも飯田橋ギンレイで映画を一緒に観たり、山梨の古民家にも来てくれた。
もちろんウチにも来たし、我が手がけるライブイベントでも多々お手伝いしてくれた。寡黙だが優しい誠実な人だった。
が、若い頃から元々病気がちの人で、一昨年だったか心臓の手術をして、そのときは無事成功して、去年1月に届いたメールでは、経過良好、このところあちこち出歩いてます、とあって、暖かくなったらまた会いましょう!というのが最後の連絡だった。
昨年は、我もあれこれイベントなど企画してしまったので、その準備やら後片づけやらで超忙しくなってしまい、彼のことは気にはなっていたが、こちらからは連絡もとらなかった。
今夏、このところ連絡ないが、ふとどうしてるか気になり彼のスマホにメールしたところ、その奥さんからの返信で、Oは、昨年8月、硬膜下出血で倒れ救急搬送されたものの急逝しました、と知らされ仰天愕然した。ちぅど一年前である。
もう一年も前ならば、今さら我らにできることは何もない。が、この秋のお彼岸に、彼を知る友人たちと中落合の彼の眠る菩提寺にお墓参りに行くことにした。※9月23日。
彼の遺子の方も案内してくれるとのことで、亡き人の思い出を話せたらと思う。
9月は哀しみの月。
颱風過ぎたらまた真夏の陽射しが戻ってきた。が、吹く風はもう秋のそれで、夜は窓開けているとうすら寒いし、薄掛けがないと寝付けない。
毎年季節は繰り返す。が、その人はもういない。
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