やつらに、我らの情報を全面的に明け渡してはならないのではないのか
2022-11-06


★SNSの恐ろしさ、不安を記す。

 これから書くことは、我の杞憂であり、老婆心のようなものであれば幸いだと思う。が、皆さんあまりにも私企業のコミュニティサイトに、全幅の信頼を置きすぎているのではないか。

 我は、いまこうして朝日ネットが運営するブログで、好き勝手に思うことを書き記し世界中に読めるような状態にしている。
 むろん無名の一個人だから、読んでくれる人は、友人知人ら仲間内とか、ごく稀にふらっと立ち寄ってくれる物好きな人に限られると思う。
 それでも長く続けてきたからか、常時平均すると50位から70位台で、ランキングは推移し、時に40台ということもあるから、多少は読まれてはいるのだと思いたい。
 かつては、百番台ということもあったわけで、こんな与太話のようなものでも読み手の方がおられることは本当に有難いと思っている。※ほとんどコメントは届かないが、逆にそれはそれで好き勝手に書けるので善いことかもしれない。
 ※だが、申し訳ないが、ほんとうに極私的なこと、アシがつきそうなことは書けないこともあることはご理解頂きたい。

 しかし、多くの人に読まれる以前、誰でも目にできるということは、逆に恐ろしいことであり、ましてそれが権力側、つまり、我々の敵側に筒抜けにになってしまえば、まさに情報は彼らの手の内のものとなってしまうわけで、それは限りなく危険なことだと我は思っている。
 今さらだが、知っている人は少なくないと思うが、我の名、マス坊、マスダというのは、若い時からの物書きとしてのペンネームと商売の屋号であり、全てが本名ではない。
 仮に恋ヶ窪三丁目の郵便局の長がいたとして、その人が、郵政省の中で、恋三さん、と呼ばれるのと同じことであり、あくまでも便宜的なものだ。
 その名前で、このブログもフェイスブックとか、ネット上のあれこれ長年やってきたわけだが、このところ、すごく不審に思うことに気がついた。

 我は、フェイスブックなども、基本的には、我の手掛けるイベント開催のときの宣伝としてしかアップせず、個人的なことや思いなどは書かず、ここの我がブログには書いてもFBには何も記したことはない。
 ところが、ご存じのようにフェイスブックは、有難くも、お友達ではありませんか?と、ある程度の共通の、関係ある人たちをこちらに一方的に知らせてくる。
 むろん、それは音楽関係など、共通の、こちらも親しくしている仲間内的な方々も多々いるのはごく当然なのだが、ときに、どうしてこの人との「関係」がFBやインスタグラム運営側に、知られたか不思議に思うことも多々ある。
 だって、ほとんどその繋がりは、我だけしか知り得ないようなものであるはずなのに、だ。

 以前、我の大学時代の親友で、当人は一切インターネットもSNSもやっていない男の弟が、フェイスブックで、「お友達」では、と登場してきてびっくりした。
 その親友は、Tとする。そのTの友人のAとは、いつの間にか「お友達」関係になっていて、その人とはそこでは繋がっている。
 しかし、そもそも一切ネット環境にない親友Tとはたまに電話で連絡する以外、ネットではまったく繋がりはない。
 ところが、そのTの弟が、FBで頻繁に、お友達ではないか、と出てくるのである。不思議でならなかった。
 考えられるのは、共通の友人である、Aが、そのTの弟とも繋がっていて、その線で、我に執拗に関係を迫ってくるのか、と考えていた。
 が、どうやらそうではないと最近気がつくことがあった。

 父の葬儀に関係して、長年疎遠であった従弟たちと我は電話で連絡を何回かとりあった。ときにショートメールでもやり取りはした。

続きを読む

[日々雑感]

コメント(全1件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット