階段転落事故詳細報告・後
2022-03-11


★ようやくほぼフツーに歩けるようになりました。

 胸のケガは、まだ咳をすると痛みが走るが、当日よりも後から痛み出した腰から背中にかけてのぎっくり腰的な痛みは、だいぶ和らいだ。
 と言ってもまだ腰を屈んだり身体を曲げることなど痛くてとてもできないが、一時期の息をしても痛く苦しくて起きていられず横になるのにもその体勢をつくるのがまた痛くて苦労したことを思い出すとずいぶん回復してきた。
 本当にご心配おかけしました。

 まだ局所的な痛みはかなり強く残るものの、ようやくほぼ日常生活は元に戻ってきました。事故後、ずっと続いていた風邪をひいたときのような全身が怠く重い倦怠感はやっと軽くなってきた。
 繰り返しになるけれど、骨折や入院に至らず幸甚だったとつくづく有難さを〓みしめている。
 敬愛した中島らも氏のように、階段からの転落事故で命を落とす人もいるのだから、この程度で収まるのならばまさに僥倖、神のご加護が待たしてもあったということに尽きよう。

 思えば、10年ぐらい前、両国のフォークロアセンターの企画で、神社でのコンサートの時も、ソウブラの五十嵐君たちの眼前で、座っていた神社の廊下の欄干から2m近くしたの地面に頭から落ちたときも一時的に記憶は失いはしたが奇跡的に無事だったし、先年、砂川の原っぱ祭りの後で、酔っぱらってギター背負って自転車で転んだ時も肘のケガ程度ですんだ。
 もうこんなことは本当に最後にしたいと今心から願い誓う。もう次は無事ではすまないだろう。今回の一件も担当の整形外科医は、肺や肋骨より脊髄の損傷を心配していたが、そこをやられていたら車椅子生活となるところだったのだ。
 ♪バカだから、バカだからこそ〜、という自らが書いたうたの歌詞が太田三造さんの歌声でずっと頭の中で流れている。

 さておき、その報告の続きである。

 一番近くの24時間緊急外来を受けつけているTS会病院に、階段から転落後、自らの運転で身体を引きずるようにして駆けつけた。
 10時過ぎには着いたかと思う。すぐに受け付けはすんだが、担当宿直医は一人だけらしく当然ながらかなり待たされた。
 まず男性看護士が問診して事情を伝えて、それから一時間、やっと医師の診察を受けた。
 寝台に横になり、胸の打ちつけたところを見せたが、その部位を押さえられて痛かったことよりも自らまた身体を起こして立ち上がるのが一人だったので本当に苦しく苦労した。
 そして医師が、ぼつんと呟いた「折れているかもしれないな」という一言がずっと耳に残り我を不安にさせた。
 そしてまたしばらく待たされ、先の患者たちが終わってからやっとまずレントゲンとCTを撮って、その後に看護師が採血して、またさらに待つことに。
 待合室で、医師から結果の診断を待つ間、その患部に手を当ててともかくひたすら神に祈った。骨折していたら入院しないとしてもひと月は治療を要するだろう。そうなれば父の介護にも支障出るし猫たちの世話すらも苦労することになろう。
 どうか骨折などなく大事に至らず、大したことのない診断結果となりますように。

 日付も変わり午前一時近くになってやっと名前を呼ばれて先ほどの当直医に検査の結果を伝えられた。
 レントゲンの画像だけでなく多方面から撮られたCTの画像も詳しく見せてもらえたが、幸いにして骨折などはしてなく、単なる打撲、打ち身として湿布薬だけ出してもらい、明日また専門医に受診するようにということで診察は終わった。
 痛みは続いていたので足取り軽くとはいかなかったが、午前一時過ぎ、病院から外に出て天を仰ぎただ神に感謝の祈りを捧げた。
 ウチに戻ったのは、午前一時半頃だったか。それから痛みに唸りながら、猫や犬たちにやっと遅い晩飯を与えるのだけで一時間要して、倒れこむように二階の自室のベッドに入ったのは、午前3時だった。

続きを読む

[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット