大晦日に思う・続き
2021-12-31


★どこからその金があったかというと

 実は、亡き母が、この我に積立貯金のようなものを残してくれていて、それが今年、突然振り込まれた。
 その額が約100万円〜。壊れた電化製品をいくつか買い替えたりはしたものの、主に猫の治療費や増えた猫たちの餌代、さらにパソコンを買い変えたりもしたので、もう一銭も残っていない。それどころか足らずにまた貯金を取り崩している。
 昔、内田百閧フ随筆で、借金王でもあった彼が、いみじくも書いていたことが頭をよぎった。「金とは自然現象である」と。
 つまり雨風などと同じく、人為の成せることではないということなのだろう。そのときは、意味が分からなかったが、今はそういうことか!と。
 入ってきても金は右から左に消えていく。手元に残ることはない。自然現象だから自分ではどうすることもできやしない。しかし、それでも使える金が入ってきたことはともかく有難く助かったわけで、亡き母の愛にただ感謝するしかなかった。

 むろん金の工面で頭を全く悩まさなかったということでは全然ない。
 いまも、これから来年のことで、さて支払いどうしていくか考えるとまたまた眉間にしわがよるけれど、まあ、汝、明日のことは思い煩うなかれ、と母がよく聖書の言葉から言っていたように、まあ何とかなるだろうと今は思う。
 確実に毎回自腹切って持ちだしていたコンサートのお金もその企画がなくなったので、出費は減るだろうし、猫の治療も間もなく完了する。
 願わくばまたケガした猫が登場しませんように。

 そんなこんなで、この10年のツケ、というかその歳月からの限界が露になって全てが一気に押し寄せてきた大変な今年であったが、一言でいえば、どう思うかと問われれば我は答える。
 今年もまた良い年、それもとてつもなく良い年だったと。

 そう、信じられないほどの歳となった父もまだ何とか生きているし、我も体調不調でも無事生きてこうして好きなことがやれている。犬猫たちも数が増えてその世話がタイヘンでも共にみな生きている。そう、生きているだけで丸儲け、損も得もない。それだけで良いのである。皆、まだこちら側にいるのならば。それは素晴らしくとてつもなく良いことではないか。
 我にはまだ夢と希望がある。

 果たして来年何が起きるか、父はどうなるか、あれこれ心配し先行き悩んでも意味ないことだ。
 ともかく一日一日、少しでもそのときできる、すべきことを少しでも少しづつでもやっていくだけだ。そして何事も逃げずに後回しにせず、きちんと向き合い、きちんとすっきりはっきりさせていく。
 コロナでなくても人は死ぬ。先のことはわからないからこそ、希望をもって生きていこう。きっと良いことも必ずある。

 皆様にもご多幸と神のご加護がありますように! ただ神に感謝、である。
[日々雑感]

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