コロナ感染爆発の夏、2021年8月に入りました。
2021-08-01


★今日から「残りの人生」スタートさせていく

 いろいろあれこれ迷うところは多々あったが、壊れた旧いパソコンは、最終手段として昨日、メーカーの工場に修理に出した。
 といっても、もう生産終了でその機種の交換部品はないとのことで、かろうじて中のデータがいくらかでも救出できればと願うが、先に持ち込んだ近在のパソコン専門修理会社の診断では、ハードディスクが完全にいかれている、ということだそうだから、「何も取り出せない」という結果で、つき返されてもそれはそれで仕方ないと覚悟もできた。

 長年録りため集めてきた貴重な記録が消えてしまえば残念無念という気持ちもあるが、そのパソコン内のデータがないと自分は今後生きていけないわけではないし、また一から様々なフォーマットも含めて設定をやり直せばよいだけの話だから、まさにそれもまた起こるべくした「運命」なのだろう。
 おこるべきして起こること、すべての出来事は、神の計らいであり、悩んだり憤ったりあれこれ悔やむ以前に、ただそのことを受け容れて対処していくしかない。
 災難に遭うときは遭うがよろし、とは良寛和尚の言葉だが、今回は災難以前に自らがまいた種、だらしなさの結末なのだから、肝に銘じて二度と同じ愚は繰り返さないと誓うしかない。
 が、我はバカだから喉元過ぎれば、の例えどおり、また過ちを繰り返す気もしている。ならば、そのときはそのときで、また起きることを覚悟して生きていくだけだ。

 実はこのところ、パソコンの不具合とは関係なく、拙ブログも更新が遅れ間隔がずっと空いてきていた。
 今だから書くが、我はもうブログという、外への発信手段は終わりにしようかと考えもしていた。
 フェイスブックとか他のSNSへ移行して、そちらで「発信」していこうと考えたわけではない。
 確かにFBなどでは、画像をアップしたり書き込むとほぼ即時的に、フォロワーでない方からも「いいね!」とか、読まれた反応が返ってくる。数は多くなくとも、誰かが、それも自分の知人、友人の誰それは、読んでくれたという、手応えは確認できる。やりがいがあるというか、有難いと思う。
 このブログは、基本的に常に「コメント」はほぼまずない。別に拒否していないが、スパムでなければ確認後、どんなご意見でも届けばそのまま載せているのだが、そもそも近年はまず誰一人反応は返らない。
 それはそれでちっとも構わないし、反応、反響という゛「手ごたえ」がないからブログを終えようと思ったわけではまったくない。

 自分にとって文章を書くことは、苦になるどころか何よりも快楽であり、かの兼好法師ではないが、心の内のもやもやしたものを、外に吐き出せるのだからそもそも読み手は必要としていない。
 ただ、近年、特に母が逝ってしまってからは、我が人生は老い衰えた父を一人で抱えて生活も仕事も何もかも行き詰まり破滅的状況に陥り、そこからの「脱出」が最優先で、正直、ブログなど落ち着いて書いてる心境、環境ではなくなってしまった。

 書けば毎度同じ愚痴のようなことになってしまうし、そんなものは、読み手として面白くもなんともないわけで、書くからには少しでも何か意味ある、真に伝えるべきものがない限り行為として意味がない。
 ブログに向き合う時間がないということもあったが、もうここいらでこうした、ブログという書く行為は、終わりにしてもいいかと思えてきた。
 ライブイベントなどの告知、情報は、他のSNSでもできるはずだし、そちらのほうがこんなブログよりはるかに効果的かとも考えた。
 しかし、考え直した。誰のためにでもなく、まず自らに思い考えたことを問い直すためにも、こうした「長く書ける場」は、必要だし、その「窓」は、外に向けて開け放しておくべきだろう、と。

 いろいろ常にご批判を多々受けるが、我の書くものは常に長く冗舌である。今は何にせよ、短く簡潔に、しかもそこにポイントがないと誰も読みも見もしない時代である。

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[日々雑感]

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