無事「無観客」で終了。ご協力、ご支援有難うございました。
2021-05-10


★これでようやく「次」へ行ける

 昨夜の「無観客」イベントは、無事に終えられました。幸いにして「ほどほど」の関係者、冷やかしの人は来られましたが、無観客ながらも盛り上がり、このコロナ禍中、感染防止対策を徹底したうえでの「開催」、成功いたしました。
 改めて参加者、関係者のご支援、ご協力をこの場で心より感謝いたします。
 出られた方々個々について、詳細は割愛しますが、御大さこ大介大兄をメインにとても楽しい素晴らしい一夜となりました。
 
 今終えて一夜明けて、朝陽の中でこれを書き記している。
 充足感に満ちた、というのはオカシナ表現だが、一つの難事を成し終えて深い満足感に浸っている。
 この数日、父のこととイベントの準備もあってあまり寝てないのと、昨日はハツカネズミのように早朝から夜遅くまで一日動き回ったので、身体は鉛のように重く怠いが、気持ちだけはこの朝日のように爽やかだ。
 
 音楽家として人として我が心から敬愛する希代のシンガー、さこ大介さんを我の手がける企画にやっとお迎え出来、ソロながらもたっぷり唄って頂いた。
 無観客のため、ギャラなどはお車代程度しかお渡しできなかったが、幸いにして、CDなど物販はほぼ完売したとのことで、そのことも喜びに繋がっている。
 この終わりの見えないコロナ危機、多くのシンガー、ミュージシャンが活動の場を失い、今苦境に喘いでる。
 その苦難の時だからこそ、支援と言うのはおこがましいが、力になれることはないかと考えたとき、つまるところ我が出来ることはいつも通りにライブの場を設けることしかない。

 今、新・新型ウイルスの感染爆発の最中、ガースや女帝都知事の「要請」と言う名の「強制」に従い、ただただじっと出かけずに誰もが各自の家の中で、感染拡大が収まり終息しまた元の日常が戻るまで大人しく「自粛」すべきなのかもしれないと思い迷った。
 が、それでは経済もだが、全てが回っていかない。人の流れ、交流や関係を止めてしまえば、文化も芸術もそれ以前に人間社会、その関係そのものが崩壊してしまう。
 特に「音楽」は、一方的に流れる川の流れのようなものではなく、演者と聴き手双方との「交流」のものだから、ライブ配信だけではなく、まずそこに人的な集う場がなくてはならない。
 その場が今「禁止」されてしまっているからこそ、あえてつくるべきだと考えた。

 今オリンピックを筆頭に、スポーツ関連イベントは容認されて、自粛するどころかしきりにマスメディアで喧伝されている。一方、音楽イベントや文化・芸術施設、人々の交流の場である居酒屋などの飲食店は休止、休業を余儀なくされている。
 何度でも繰り返し出される「緊急事態宣言」下、出口の見えない状況だから、まさに仕方なく、それにしても打てる対策はそんなものしかないのかと憤るが、あまりにも不合理、不平等であり、場当たり思いつきではないか。
 このままでは美術館、映画館も含めた文化、芸能、大衆娯楽施設は消えてしまう。コロナウイルスが真に収束したとき、人類が有史以来築き挙げてきた「人間社会」はそこには存在していない。
 スポーツも文化の一つだと思うけれど、芸能文化というもののすそ野はもっと広く大きい。
 コロナはこれからも続く。おいそれと人類は打ち勝つことはできやしない。
 ならばこそ、アフターコロナではなく、ウイズコロナとして、このコロナ禍の中で、出来る活動を維持、継続していくしかない。

 先が見えないからこそ、いったん火を消すのではなく、ほそぼそとでもその火を灯し続けていくことだ。
 我はその聖火ランナーにはなれないが、その火を人から人へと繋ぐきっかけ、仕組みは考えられるし「その場」の手配もできよう。

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