どこまで続くコロナ禍ぞ〜専業ミュージシャンの苦境を憂う・続き
2021-04-29


★日本のフォークシンガーはコロナ危機を乗り越えられるか

 物心ついてからだけでも半世紀以上生きていると、モノゴト、世の中の移り変わりとは、まさに栄枯盛衰、次から次へと新たな流行が生まれ、またすぐに「時代遅れ」となって廃れていくことの繰り返しだと思い至る。
 そして日の光の下に真に新しいもの、真に変わらないものなど何もないと虚しくも思う。
 が、人が生きるとは、その生きていた「時代」の中だけのことなので、その時々の出来事、知る限りのことは記しておかねばならない。

 小・中学生の頃、ラジオの深夜放送で流れてきた「日本のフォークソング」と出会ってから、そう、かれこれ半世紀、50年が過ぎる。
 日本のフォークソング、以下「フォーク」は、関西フォークムーブメントに端を発し、70年前後に爆発的人気を若者たちに得ていた。
 中でも70年代前半、よしだたくろう、井上陽水という二大スターがメジャーシーンでヒット曲を連発するとそれまでの歌謡曲とは一線を画すフォークは、フォークギターと共に広く若者たちの必須必修必聴アイテムとなった。
 ひとつの流行、ファッションとして多くの若者たちが彼らに憧れ倣って自らもギターを手に取り拙くとも唄うことを試みた。

 かくいう、この我もそうであった。一陣最初は、質屋のショールームにぶら下がっていた白い中古ギターを父に請うて買ってもらったのだった。
 たぶんそれが1972年か73年頃のはずだから、その中坊の頃からちょうど半世紀に至るわけだ。感慨深い。※そして吉祥寺のぐゎらん堂で、実際のフォークシンガー、シバや友部の生のライブを観てますます夢中になったのだった。
 そうした音楽熱は、大学時代のロックバンドまで続いていた。
 以降途中、社会に出てしばらくは日本のフォークシーンと離れていた時期も長かったが、高田渡の死の前後から熱は再燃し、今の活動に至っていることは拙ブログでは何度も遂次そのときどきの経過と共に書いて来た。

 振り返れば、フォークは、一時期は広く若者たちに支持され人気もあったが、iユーミンらのニューミュージック勢の台頭、さらに70年代後半〜80年代前半、サザンらの第一次バンドブームの頃からしだいに人気を失い、特に1980年代末〜90年代前半「イカ天」からの第二次バンドブームの頃には、完全に「時代遅れ」のカッコ悪いものとなってしまった。
 バブル期とも重なるその頃になると、フォークソングは四畳半的な貧乏くさく何か薄汚くダサい過去のものでしかなく、フォークギターを街で下げてるだけでも指さされ笑われたほどであった。

 それが2000年前後から、洋楽のアンプラグドブームなどで生ギター、つまりアコ―ティステックサウンドが再注目されると我が日本のフォークも人気を持ち直すのだが、それはさておき、80年代から90年代の頃は、フォークシンガーにとってどん底の時代であったとよく聞く。
 多くのシンガーが当然ながら「うた」だけでは食べていけずに他の仕事、定職に就かざる得なかった。何しろ唄う場がそもそもないし、ライブハウスはあってもそこはバンドのための場で、フォークシンガーには客がつかない。
  天才シンガーソングライター西岡恭蔵が自死したのも1999年で、その死の直前のライブに行った人から聞いたが、彼ほどの人気シンガーでも観客は 2人だけだったとか。
 
 芸術、なかでも「うた」や音楽などでそもそも食って行くことは当然ながら難しいわけだが、まして時代の風向きが変わると、人はそうした音楽に関心は向けない。そこにはその時時の流行している音楽があるのだから。
 人はかつて若い頃によく聞いたヒットソングには、青春の思い出が関連するから懐メロとして聴くことはあっても、今のうたなどには誰も関心を持たないしそういうシンガーがいたとしても足を運ばない。


続きを読む

[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット