コロナ禍でも、ともかく続けていくこと、だと
2021-02-02


★人生を自ら終わりにしない。

 今朝は雨上がりの暖かい朝だった。朝のうちは曇っていたが、しだいに陽射しも出て、暖かい穏やかな早春の一日となった。
 2月となった。このところ雨が多く、まさに一雨ごとに春めいていく感がある。むろんまだまだ冷え込み、時に雪が舞う日もあるかもしれないが、たぶん今年はもう積もるような大雪や水道が凍る程の強い寒気は東日本、太平洋側ではないような気がする。
 こうして一雨ごとに春へと向かっていくと期待したい。もう辛い、最悪のときは終わったと。

 まず我が父のことだが、小康状態というべきか、先日来の急激に悪化した呆けは今は下げ止まり、記憶はともかくも人間性はまだ何とか維持、確保している。そんなで今朝も介護施設に何とか苦労したが送り出せた。
 ただ、今年に入ってから我としては朝、父のオムツ替えや起こすときなど、父は果たして今朝も無事で何も異変はないか、戸を開けて確認するまでドキドキし、常に最悪の覚悟のうえで臨んでいる。

 じっさい、もう寝ている間に、老衰で不意に呼吸が止まっていたり、不慮の事故で死んでいてもちっともおかしくない状態なのである。
 96歳という超高齢の老人を自宅で我一人で介護し共に暮らすということは、同じような経験をしている人はまずいないと思うしその気持ちはどう語るべきか。
 認知症もひどく何をしでかし何が起きてもおかしくないし、常に死はごくごく側にあるとひしひし感じている。俗に薄氷を踏む、という表現があるが、まさに命の薄氷を毎日怖ろ怖ろ父の手を引いて歩いている気がする。

 このところ、父は何故か必ず朝、オムツ替えのとき確認すると、毛布一枚だけしかかけていない。何枚もの他の毛布や布団は、傍らの椅子にきちんと折りたたんで重ねてある。
 そして時に、穿いているオムツ、紙パンツなども全部、一切脱ぎ捨てて、すっぽんぼんで下半身丸裸で眠っている。
 これは、たぶん暖房いれてるので暑いのだろうと考えて、温度を下げるのではなく、布団を厚めにかけて暖房は切って寝かせたら、先日は朝までそのまましっかり布団も毛布も掛けて眠ってくれた。
 やはり一兵卒として先の大戦で、酷寒の満州でも生き抜いた人だから、寒さには格段に強いのだとわかった次第で、ならば暖房は不要かと、オフにしてこの数日寝かせていた。
 が、今朝は、春めいてきてそれでも暑かったらしい。早朝5時のオムツ替えのときには、毛布一枚だけで寝ていたので、風邪ひくと思いしっかり布団かけておいたら、朝8時過ぎ、施設に送るために再度起こしたらば、下半身はなんと丸裸であった。紙パンツすら履いていない。オムツも何もかも全部脱ぎ捨ててあった。

 とうぜん、シーツの上に小便は大量に漏らしていて、まさに大世界地図であった。父はその小便の湖のうえで眠っていたのだ。
 何でそんなことをするのか問い責めても意味はない。要するに無意識のうえでそんな妄動に励むわけで、先日は、この寒中に、深夜に窓をこじ開けて外に出ようとカクサクした形跡があり、キジ子ら猫たちはその開けた窓から外へ逃亡してしまい連れ戻すのにまた苦労した。
 昨年はじっさい、厳冬1月なのに、寝ている部屋の引き戸を外し台所から戸を壊してそこから父自ら外に出、徘徊のあげく、車の中で早朝眠ってるのを発見されたこともある。我が朝起きたら部屋は空っぽで父の姿はなくまさに仰天、卒倒した。
 そのときも真冬なのに裸足でほぼ裸だったのだから、ヘタすれば即肺炎起こしてコロナでなくともとうに死んでいたはずで、スーパー呆け老人は何しでかすかまさに予測不可能なのである。父がいると気が休まらないとはこういうことだ。
 大・小便を垂れ流したり寝小便したりするのは介護苦労の度合いとしてはごく軽いものである。


続きを読む

[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット