暗い世相に暗い顔の菅首相を憐れむ
2021-01-18


菅首相は、元々、高卒後、東北秋田から集団就職で上京して、段ボール工場で働きながら夜学で法政大学を出、政治家の秘書を経て議員となったという刻苦勉励な苦労人として知られる。ある意味、田中角栄に並ぶ、今太閤なのである。
 安倍晋三たちが生まれつき銀のスプーンを咥えて政治家、そして首相になるべくしてなったのとは違い、まさに本人奮励努力、自助によってついに総理の座まで上り詰めた人だ。
 本当はそれだけで国民から高い支持を得て「偉人」として評価されても当然かと思える。それがこの体たらくである。読売新聞にまで見放されてしまった。何がいけないのか。

 思うに、菅義偉という男は、ここまで政治家として登りつめるまでにあまりに苦労し過ぎたのではないか。汚い政治の水を飲み過ぎたと言っても良い。
 それが顔に出て、あんなに暗く、屈託を抱えた顔、鬱屈した表情となってしまったと我は想像する。
 その反対側、対照的なのは、安倍晋三で、彼こそまさに「屈託がない」男であった。首相の席から野党議員の質問に野次を飛ばすなど、言語道断、まさに「屈託ない」が故にできることで、とうぜん彼は誰よりも明るかった。
 その明るさとは、苦労知らずのボンボン故のことで、ある意味何も考えていない、思考力のかけらもない証でもある。それは彼の盟友・麻生太郎も同様で、二人とも何一つ苦労せずに生きてきたからこそ、あんな「明るい」能天気でいられたのである。
 ※日本で最強の「屈託のない」夫婦は、安倍夫妻だということはさておき。

 晋三は、何も自ら考えられないから、ともかく早口で無意味なことを繰り返しまくしたて、その場を煙に巻き、誰もが信じがたい「嘘」まで臆面なくさんざんつき続けて、結果、「体調不良」で政権の後始末を菅官房長官に託して「逃亡」してしまった。
 菅氏も晋三同様に、明るく堂々と嘘であろうと臆面なくあれこれ国民に積極的に語りかければまだトランプ氏的人気も得られたかもしれない。
 ただ根が暗く、内にこもる鬱屈した性格ゆえ、それも苦手らしく何一つ自らは表舞台に立たない。それでは誰一人彼についてこない。国民の信頼も得られない。

 個人的には、我自身も彼のように暗く不器用だからこういう人は嫌いではない。苦労して自らの手腕で政治家のトップにまでのし上がったのだから実にエライと感心する。
 ただそこに至るまでにあまりにも汚い水を飲み、手を汚し過ぎた。それが顔に出てしまっている。あの暗さでは首相として国民を率いることは難しい。
 強いリーダーシップとは、明るさに裏打ちされた「信頼度」を伴う。かつて田中角栄が広く大衆的人気を得たのは、彼には無類の明るさと強い発信力があったからだ。嘘くさい無理難題でも角栄が口にすれば何か現実的に思えた。いや、思えさせた。それが政治家なのである。

 菅義偉、東北から出てきた集団就職の1少年が、ついに政治家の頂点に立った。本来ならば彼が味わってきたこれまでの辛酸、つまり「苦労」や「痛み」を政治に生かせば、真に偉大な後世に名を残す偉人となれただろう。
 が、彼は、権力と地位、巨額の金を手にし始めてから、かつての自分である弱く貧しい者の痛みを思うことなく、逆にそれを手段、「強権」として振りかざすことでまたさらに上へと昇りつめて行った。それが彼の顔に出、今の暗い悪相となった。
 そして今、まさにメッキが剥げて「そもそも首相の器ではない」と断罪されるような四面楚歌となってしまったのだ。
 人とは無理して巨大な権力を手にすると、こうなるという戒めであろうか。それとも銀のスプーンを咥えて来なかった者の僻みであろうか。


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[日々雑感]

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