いま、いったい何が起きているのか
2020-07-30


★コロナウイルス、先のこと案ずるより、まず今どうなっているか、だ。

 コロナウイルス感染拡大が止まらない。
 東京では連日300人前後が通常となってしまったし、大阪や愛知でも連日100人越えという記録更新が続いている。昨日はついに全国で一日で千人を超す感染者数が報告された。

 だが、政府も行政も無策というかか一切何も手は打たずに、「緊張感をもって状況を注視している」と繰り返すのみだ。注視するだけなら猿でもできる。
 そして各都府県の長は、住民にはよりいっそうの三密対策を、と繰り返し呼びかけ、できるだけ移動はするなと言う一方、政府は、旅行推奨のため「「Go To トラベル」強行とは、行政は、まさにブレーキとつつアクセルを同時に踏むがごとく方針はバラバラ、支離滅裂と言うしかない。
 政府ができる対策は、またまた小さい布マスクを広く配布することだけなのであろうか。それだけで抑制効果あるのであろうか。彼らにこの国をこのまま任せて大丈夫か。
 確かなことは、何の対策もしなければ、感染拡大はさらに日毎に増大していくことだ。
 まさに「#悪夢のような安倍政権」である。

 これではほんとうに大変なことになるとお気楽な我すら不安になって来る。さらに世界中からコロナに関連せずとも不穏なニュースが次々流れて来る。
 未だあけない梅雨のどんよりとした空を眺めて溜息をつく。いったいこの先、この国は、そして世界はどうなってしまうのか、と。
 しかし先のことを憂い案ずるよりもまず今、この現実をできるだけきちんと把握、分析して、その上でできること、すべきことを一日でも早く始めることだ。

 私事だが、我母は、先年癌で死んだのだが、その年明けから次第に体調が悪くなってきたかと思うと、6月ごろから一気に体調が重篤化し自宅で完全に寝たきりとなってしまった。そして二か月後、食事も摂れなくなって痩せ衰えて9月に入ったらあっけなく衰弱死してしまった。
 今思うと、どうしてもっと早く、事態が進む前に手を打たなかったのかと悔やまれる。まだ動けるときにできることはいくらでもあったはずだ。だが、せいぜい食事に気を使った程度で我は、母本人もだが、日々その状況を漫然と「注視」するだけで、何とかせねばと考えつつも何もしなかった。
 そして事態はさらに進み常時看護が必要になって来ると、基本我一人しかいつも側に付いて母の世話をする者はいないこの家では、我は疲労と睡眠不足でともかく毎日心身疲弊し、何も考えられなくなって結果として母を死なせてしまったのである。
 果たして母は、それでそのとき死ぬべき運命にあったか、と今もときどき自問するが、もう少し早くに、事態が真に悪化し何も手を打つこと、対策がなくなる前にまだできることはあったことは間違いないと思える。

 癌という進行性の病気にかかり、手術が成功し一度は治癒したものの再発してこんどは抗癌剤も効かないという末期的状況になって来たのだから、その先には、「死」という破滅しかないのは確かなわけで、実は当初からわかっていたことだった。※医師たちはそれを早くから深く認識していた。
 ただ、思えば、我らは「そのこと」については意識して考えないようにしていたし、何のアテもないのに、何とかなる、まだ大丈夫だと希望を持ちその年は春先までのんびり安穏としていた。
 そして今ならわかるが、体調不良など全ての予兆はじょじょに現れていたし、高い発熱で緊急搬送という本格的に癌が動き出す前に、もう少し真剣にあらゆる対策を模索すべきであった。春先まではまだ元気で動けていたのだから精いっぱいできることをすべきだった。
 そうすれば今も母は生きていたかもしれないし、もう少し長く生かすこともできたと思える。 しかしもう今では遅い。
 

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