老いて死に行く父と最期の時まで逃げずに向き合えるか
2020-03-18


★また父のことを書かせてください

 我、マス坊は、感受性が強いというのではなく、傍らにいる他者の体調や感情に同調するというか、すぐに影響受けやすい性向で、ある意味「イタコ体質」ともいえる。
 先年、精神病院に入院している友人を見舞いに行っただけで、行く都度こちらまで精神状態がどんよりしてきて戻すのに苦労したこともある。
 実は、我が父がこのところだいぶ衰弱して来てしまい、今後についても思い悩んだこともあるのだけど、父につられて我も調子崩して時間あるときは無理せずひたすら寝込んでいた。※先の月末前後のコンサート連日という疲れもあって、ひさしぶりにメマイとふらつきが起こりおまけに下痢もしたり安静にせざる得なかった。
 おかげで幸い、この二週間、いや三週間近くこのブログも含めて、対社会的なことは放擲してしまったが、何とか体調も気持ちも回復してきて改めてがんばろう、という気持ちになってこれを記している。

 これは書くべきか迷い続けたが、今はいちおう父の体調も安静してきたようなので、やはりここに書き記しておく。そう、すべてをあからさまに正直に書いていくと宣言してこのブログを始めたのだった。
 父が死んでからでは「今さら」として書けやしないし、できるだけ状況というか、起きたことは早めに逐一書き記しておいたほうが、自分にとっても備忘録として役立つかとも思い書くことにする。

 先だって、3月7日の早朝?のこと。90代半ばとなる父は、ついに徘徊が極まって、我が起きたときは、鍵かけてあった寝室を抜け出して家の中のどこにもいなかった。玄関も鍵かけてあったのだが、台所の引き戸を押し倒してどこかへ消えてしまったのだ。
 幸いにして庭先の停めてあった車の中で、ほぼ裸状態で「発見」されたが、危うく警察や市役所に通報するところであった。むろんケアマネージャーや病院など諸機関には連絡したけれど。
 詳しく書く。

 父は、このところ週に二回、それぞれ別の施設に二泊三日でお泊りに行ってくれて、ウチに帰って我家で寝るのは、三泊しかない。
 ならば我の看護の世話はさほど大変ではないと思われるだろうが、やはり家にいる時は、この高齢の父は常に目が離せない。今は食べることも歩くこともそして下のほうもすべて難しくなってきているから、常に傍らにいないと心配なのだ。
 また、深夜にも履かせているオムツのパッドの交換をしないと、自ら濡れたそれをとり外してシーツを汚してしまうだけではなく、眠りが浅いときは「徘徊」しようと起きだして深夜に騒ぐこともままある。
 そんなで、父が在宅の晩は、基本我は仮眠状態で、目覚まし時計をこまめにセットして、数時間ごとに起きては父の様子をうかがっている。なので、二晩ほぼ徹夜状態で何とか父を施設に送り出した土曜日は、昼頃から夕方まで一日寝てしまう。※いまは、土曜日の「共謀」コンサートのある週は、特別に金曜の夜から施設に預けるようにした。

 そうした状況で、まあ何とか介護施設を利用しつつ、まだ完全に介護施設・病院等に入所させることなく自宅で介護続けてきた次第だが、いちばん困るのは「徘徊」も含めて「不穏」が起こることだ。
 「不穏」とは病院用語なのだろうが、患者当人が混乱し興奮して騒ぐことで、介護側に手を焼かせる状態を指す。
 父は、基本は温和な性格で、世の頑固親父とは違うマイホームパパだったので、老いて呆けても暴れたりすることはまずなかった。
 が、ボケがひどいときは、何か気になることがあるとそれに囚われて、何度説明しても繰り返し騒ぎ立てて落ち着いてくれない。その原因もいつそれが起こるか定かではない。
 では、ただひたすら大人しくじっとして日永うつらうつらしてくれたら有難いかというと、ならばもう別にこの家に帰ってこなくてもいいわけだし、こちらが苦労してつくった飯も食べてくれないのなら我が世話する意味も必要もない。

続きを読む

[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット