母が死んで三年。ようやく長い夢から覚めた。
2019-09-07


★生涯最大の「危機」をよく無事に乗り切ったと思う

 私事だが、明日8日で、我が母が死んでからちょうど3年となる。三回忌は、去年、2年目のことだったが、後からお墓参りには父連れて行ったものの法事的なことは何もしなかった。

 今、その9月8日を前に、今さらながらやっと、長い夢から目が覚めた気がしている。
 それは単に「悪夢」だとは言えまい。ともかく夢の中にいるような、地に足がつかない「現実感」のないまま、三年の月日が流れたという感じだ。
 そしてつくづくよくまあ無事で、父もだが、この我が1人で生きてやってこれたという感慨がわく。下手すれば、我の人生も、つまり命も失われていたかもしれないほどメチャクチャ、混乱混沌の3年間であった。
 今でも、人生再建が成っていないし、母が生きていた頃の状態に我家は戻っていない。家はゴミ屋敷のまま内も外も荒れ果てているが、今ようやくもう最悪の「危機」からは抜け出したと、その実感がある。
 喩えれば、誤って船から落ちた船員が、一時は溺れて死を覚悟したが、やっと体勢を立て直して泳ぎだし、近くに陸地を見出しそこに向かって泳いでいく。まだ海の中だが、向かうべく先は見えている。そんな感じだろうか。

 これまでも何度も書いたが、母が死んで半年間は、死後の様々な事務的手続きに追われて、哀しみも何もゆっくり味わう余裕なかった。
 その後、何もかも終わったら、その不在、喪失感がじわじわ湧いてきて、我はこころを病んでしまった。母の夢を見ては泣きながら起きたり、不眠に苦しんだり医者にはかからなかったが、間違いなくPTSDだったのだと思う。
 そして一年が過ぎ、母と共に長く生きた老犬も逝き、父と二人だけの生活にも慣れて来て、ともかく闘病中から溜まった我家の一切の「書類」を整理しはじめた。
 が、母の遺したメモや日記類のようなものを手にするたび、また哀しみと悔いが起こり、気持ちは再び鬱に戻され、苦しくてなかなかその作業はちっとも進まなかった。
 そうこうしているうちに、父の老化と衰弱、呆けはさらに進み、我もときにキレて諸機関に暴力事件と目され、要観察対象となったりもした。

 一方、心の空白感を埋めるべく、辛い現実から逃げるようにヤフオクに囚われてしまい、まずは真空管ラヂオ、ハーモニカ各種、さらには中古ギター、そして最後は古いレコード収拾と、次々と対象は移り、結果何十万もそれで散財してしまった。※百万は使っていないと思うが・・・
 そして2019年。元号が変わり、ある意味自分の中でも一つの時代の終わりを感じてこの春から夏を何とか乗り切ったところだ。
 いまようやく何にも囚われ怖れることなく深く落ち着いた気持ちでこれからのことを考えている。そう、ずっと頭がおかしかったのだ。そんな状態なら交通事故や火災も含めて何が起きてもちっともおかしくなかった。

 これまでも当ブログで、何度も「もう大丈夫です」とか「さあ、ここから、これからだ」と記したが、地震の余震、揺れ戻しのように、また何度も鬱的気分が戻って辛くてちっとも何も進まなかった。
 この三年の間に、のみ亭のやっちゃんを筆頭に、大事な人をまた新たに何人も失ってしまった。それが運命だとかその人の人生だったと思うしかないが、自分がまだ生きている、長く生きていくということは、失う、喪っていくことなのだとやっとわかってきた。

 一時期は、生活すべてが面倒に思えて、外のことには、テレビも新聞も本も何もかも関心を失い、何もかもが「どうでもいい」と思えた。
 だが、かけこみ亭の友人たちや、我の大事な音楽仲間たちがいたおかけで、その励ましと「関わり」で何とか自失しないで済んだ。
 我にとって母の存在はそれほどまでに大きかったということだ。


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[日々雑感]

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