まだ人生を続けていくためには
2019-05-28


★ブログ再開します。まず何から書いていくか。

 つくづく自分は人並みの「当たり前のこと」が何一つできないんだなあと今さらながら嘆息している。 
 山梨から戻って、まさに足の踏み場のない台所を見回してつくづくそう思う。この家は、まさに庭も家の中も、家の内外共にゴミ屋敷である。どうしてこうなったのか。
 我が家は元々、親たちも含めてモッタイナイ症候群と片付けられない症候群の家系であり、ともかくモノが溢れてた。
 世の中にはともかく何でも少しでも溜まるとポイポイ捨ててしまう、生き方自体が断捨離モードの人もいるようだが(先だって亡くなった樹木希林さんもそう)、逆に常にモノが溢れ片付けられない人も多々いるかと信ずる。だから世には、片付け指南本の類が常に出続けベストセラーにもなる。

 先に、我は、母が死んでしまったからこういう状態になったと書いた。
が、元々これだけ大きな家を、モノで溢れている家を、維持していくのは限界になっていたのだと気づく。
 ただ母が生きていた頃、父が今ほど呆けずに自ら動けていた頃は、それでも各自分担してこの家はまだ経営が成り立っていた。
 つまり食事ならば、我が買い物して調理して、提供したあと、母が皿を洗い食器棚に戻すとか、洗濯も我がしたら干したり取り込んだりしまうのは母が、溜まる一方の新聞などは父が整理するとか、各種公共料金の通知や税金の支払いなどの管理は母と父とで担当する。
 息子が関西などへ音楽旅行のときは、犬猫の世話は父と母に任せてと。父も母も高齢の割には元気だったから、我家はそうして自然に分担して、維持できていたのだった。
 そして母が癌患ってまず先に逝き、父がさらに老いて呆けて何もできなくなって、我一人で父の介護も含めて全部やらざるえなくなった。
 
 元より我マス坊は、何であれ人よりできないのである。理解力も含めてヒトより常に遅いし不器用なのである。自分でも「知恵遅れ」か、そういう障害があるのではとずっと思っていた。じっさい、今ならばLD児とか診断されたであろう。
 母も今思うと社交的と言うよりも多動性障害的な人だったから、やはり世間目的にはだらしなく、常にきちんと落ち着いて片付けは出来ない人だった。そういう遺伝的なことも関係しているのかはともかく、現実問題としてついに我が家は行き詰ってしまった。

 妖怪人間ベムたちは、常々、「早くニンゲンになりた〜い」と嘯いていたが、我はこのところ強く願うのは、「早くマトモになりた〜い」であり、世間の人のように何であれきちんとできる真っ当な人間に心からなりたいと憧れる。
 じっさい世間には男女問わず、一人でどんな環境でもきちんと自らの生活を維持管理できている人がいっぱいるのである。我など自分では何一つ管理できないのに、欲望だけは人並み外れて強いから、モノは常に増え続け、もうすべてが飽和状態となってしまった。そしてついに行き詰ってしまった。

 しかし人生はまだ続くと思えるし、いまここでこのままの状態で死んでしまえば、後の始末で我が妹たちは命と時間すり減らしてしまうだろうから、せめて自分のしてきたことなのだから自ら落とし前つけねばならぬ。妻がいようが孫や子がいようが、自分の人生は人任せにできないはずだし、死の間際に「後は頼む、任せたゾ」とお願いできる人がいないのは、我の場合は良いことだと思いたい。

 そう、ここで毎度の愚痴こぼしている時間あるならば溜まった紙ゴミ類を片付けたり、台所の古い食材などは全部処分して少しでもスッキリと広く快適な空間にしていけば良いだけの話だ。
 基本もう欲しいモノは、ほぼすべて手に入れたし、モノはモノでしかないのだから、後はいかにそれを自分のモノにしていく、つまり活用していくしかない。

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[日々雑感]

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