いつまでも続くと思うな、「ある」のが当たり前と思うなかれ
2019-03-11


★3.11大震災の日の朝に

 昨日の夜から降り出して一晩中かなり強く降り続いていた雨は今ようやく上がってきた。外は明るく陽ざしも出て来た。今日は晴れて暖かくなる。そう、あの日と同じように。
 8年目の大震災の日の朝である。

 昨晩は、敬愛するブルースシンガーさこ大介さんのライブが、彼の地元狛江のイタリア料理店の三階の一室であり、久々にお会いしてうたもお話も堪能した。考えてみれば数年ぶりの再会ではないか。
 何度も同報メールでライブのお誘いは受けていたが、なかなか都合がつかず、昨年夏も行こうと決めた日は出る矢先に颱風で電車が動いていなかったりと何故かタイミングも合わなかった。毎年お招きしていた年末の拙宅でのクリスマス謝恩パーティにも昨年のは来られなかったし。
 そうこうしているうちに、老いた甲斐犬もやたら手がかかるようになってきて、我は父不在の日でも気軽に家を空けることが出来なくなってしまったのだ。

 今回、3/31の、みほこんのライブに、特別ゲスト出演お願いした手前、その前に一度お会いしてカンタンな打ち合わせもしたかったので、狛江はウチからもさほど遠くないので、久々に南武線で登戸まで出て小田急で多摩川越えて行ってきた次第。もう七十過ぎたはずだが、軽妙な語りに渋い喉は健在で、お元気そうで一安心した。

 だからといっていつまでもこうして達者にライブ活動が続くとは達観してはならないと思う。まだまだお元気だからいつでも観れる、会えると楽観してお会いするのを怠ってると必ず後悔するときが来る。
 そう、先のことは誰もわからない。何がいつ起こるかは神のみぞ知るわけで、その采配、サイコロの目はどう出るかまさに明日をも知れないのである。※もちろんいつまでも長くお元気でさらなる活躍を祈り期待することは当然のことであるが。

 あの様々な神話が崩れた大震災の日も、その起こる直前までは誰一人予測も想像もできなかった。そして突然それが起きて、命も家族も家もすべて何もかも失ってしまった人が何万にも達したのだ。
 そして八年が過ぎた今でも多くの人たちが仮設住宅で暮らし、避難生活を強いられている人が5万人を超すとされるのに、「復興五輪」を謳い浮かれるこの国の政府とは・・・
 拙宅は幸いにして古家を増改築し終えた時だったので被害と言えるほどの被害は何もなかった。ただ、この8年の歳月を振り返れば、そのときはまだ生きていた母は既に亡く、母の愛した犬猫たちも一新されて、今も変わらずに在るのは、父だけだと気づく。
 その父だって果たして来年の今頃はこの世にいるか定かでない。

 先だっての「共謀」コンサートの折、参加してくれた、このブログを読んでくれている友人から、このところブログでは年中、お前の父が死にそうだとか書いてるけどちっとも死なないじゃないか、お前も元気そうだしこれは「死ぬ死ぬ詐欺だ」と批判的ご意見を受けた。それでこんな我でもかなり傷ついた。世間とはそうしたものなのか!である。
 じっさいもう九十半ばになるのである。これが70代ならばともかく、この先5年も10年も生きられるはずがないではないか。しかも誤嚥性肺炎と認知症、さらに身体不自由となって、今はかろうじてデイサービスとかショートに通えているが、向うでは車椅子で移動して食事から排便まで何につけても手もかかるのでそろそろ利用限界と言われているのである。
 本来は治療を目的としない病院施設に入所すべき段階の超高齢の人を、死にそうだと言うのがどうして詐欺なのかと憤る。もう口から食べるのも咽て大変なので胃ろう(腹に穴開けて経口栄養液をそこから入れる)も検討されているのだ。
 今度誤嚥性肺炎を発症したら、間違いなく即入院、認知症も悪化するだろうからそのまま死ぬまで院内で過ごすという手筈なのである。

続きを読む

[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット