青春と白秋と、近づく玄冬と
2018-11-13


★すべてに終わりの時が近づいている

 他の地域はどうか知らないが、東京多摩地方、今年の秋は雨や曇りの日が多く、なかなか秋らしくカラッと晴れ渡る日が少ない。
 今日も昨日に続いて曇りがちで朝方は雨が降った。今もどんよりとした曇り空、陽射しがない分寒く感じる。
 そう、もう11月も半ばなのだから秋も深まり本格的冬はすぐそこまで来ている。寒いのも当たり前で、早く冬支度をしないとならないのだが、庭の落葉掃きやまず喫緊の問題が最優先で、なかなか冬物衣類を出したり屋内の準備が進まない。
 父が施設に行って不在の間に、といつも思うのだが、留守なら留守でまたやるべきことも多々あって、コタツ布団もまだ出せる状態ではない。それに今年は掘り炬燵はどうするか迷うところだ。今の状況では火事になる可能性が高すぎる。

 さておき、今は晩秋である。今の季節、その秋のことを、「白秋」と呼ぶことはご存知の方もいるかと思う。
 では、春は、というと、「青春」であり、夏は、「朱夏」、そして冬は「玄冬」である。季節順に並べると、青春、朱夏、白秋、玄冬となる。玄冬の「玄」とは黒のことだそうで、それぞれの季節に青、赤、白、黒と色の名前が付いている。
 白秋というとあの詩人・作詞家の北原白秋がすぐ思い浮かぶが、彼のペンネームはここから来ているのだろう。
 と、なると「青竜、朱雀、白虎、玄武」という言葉、動物に色を冠した言葉にもお気づきの方もいよう。これは方角を指していて、それぞれ東、南、西、北となる。その名前が付いた門などが京都など古都にはあったかと記憶する。
 そして言うまでもなくその方位と季節もまた密接にシンクロしている。春は東であり、冬は北というのは太陽の動きともマッチして実感がわく。
 これは、中国の古代の考え方、五行から来ていて、いわゆる季節としての春のシーズン、英spring、仏語ではプランタンを、「青春」と呼んだのが、いつしか人間の若い時期、十代から二十代を指すようになり我が国では「青春時代」という言葉として定着したのだと推察する。
 ならば今、我は、その「白秋」時代の終わりにあり、ちょうど今の時期と同じく、間もなく「玄冬」のときを迎えるわけだ。

 このところ山梨から来た老犬トラさんが老い呆けて手がかかることを書いた。今朝がたも前夜しっかり歩かせ寝る前に排便も済ませたのに、午前2時頃にまた騒ぎ出し、その時点でもう室内のマットの上に失禁していて、軽くこの町内を散歩させてこちらも寝直した。
 が、すぐにまた騒ぎ出し、もう我も眠くて起きられず吠えるに任せて放擲しててしまった。そのまま朝方まで騒ぎ続けたらしく、早朝、夜が明け始めた6時頃、下に降りたらまたも失禁、糞尿まみれになっていて、一度外に出しまた軽く歩かせたが、もう疲労困憊となったのか、道端でしゃがみ込み失神するように眠ってしまった。

 この数日来、夜啼きや徘徊しないよう新たな犬用サプリメントをネットで調べて、取り寄せて飲ませているのだが、あまり効果はないようで、ますます室内での失禁、排便までが日常化して来たようで、頭を痛めている。
 眠っているときは静かで手もかからないが、起きると目覚めている間中ハアハア荒い息を吐き興奮してうろうろ落ち着かず、しだいに鳴き出し最後は遠吠えまでして外に出たがる。外に出せば、ろくに散歩もできないのにまた小屋に繋げば吠え続けてご近所から苦情が出る。家に入れれば吠えてまた外に出たがり騒ぎ続ける。
 いったいこんな状況がいつまで続くのだろうかと暗澹たる気持ちになっていた。まだ食欲もあるのでこの先何年もこのまま生きるのではないのか、と。さすれば我の身体がもたない。老父も抱えて。


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[日々雑感]

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