「うた」と音楽をもう一度我が手のうちに
2018-10-15


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★それはカッコが悪いけど。

 また今日も曇り空。今年2018年の秋は雨天曇天ばかりで秋らしいカラッと晴れた日がぜんぜん来ない。今日も何だかうすら寒い。よって野菜も不作でバカ高い。

 沖縄からながいようさんを招いてのコンサートを何とか成し終えてほっとしたわけだが、一息つけてものんびりしてはいられない。
 昨日も書いたが、今年も残り少ないので、やるべきことが目白押しである。家の内外片づけを進めていくのはもちろんのこと、冬が来る前に、その準備も山ほどある。これから秋は、拙宅は庭のイチョウやケヤキの大木の落葉騒動も待っている。
 モノゴトが山積の「山」はまたさらに高く大きくなっている。考えると焦り慌て不安にもなるが、今は一昨日の音楽効果で気分は高揚し前向きになっているのであれこれ机上で悩むより少しでも動け、ともかくやってけ、という気持ちである。
 
 さて、前回書いたこととも関係あるが、昨晩、やや疎遠気味だった友人から電話があり、今、フォークロアセンターでの古川豪さんのライブに行ってきたところだと、報告を受けた。
 素晴らしいコンサートで盛況だったとのこと。我も豪さんが来ていることはずっと気になっていたのだが、こちらのコンサートとちょうど重なってしまい、行けるのは最終の昨日しかなかった。
 が、疲れがどっと出て、フラフラで体が動かず終日寝込んでしまいとても隅田川を越えて両国までは行けなかったのだ。お客も入ったのならそれは本当に良かった。

 友人は、我のこのブログを読んで、豪さんが来ていること、両国でライブがあることを知って急遽行ったとのことで、ハガキだけでも転載しておいて良かったなあ、と思った。そう、これも我の「役割」、我のできること、すべきことの一つだったのだ。それができた。
 「うた」をまた一つ繋げられて良かったとつくづく思った。

 その「うた」であるが、先のコンサートでは、その作り手、歌い手が亡くなって今ではあまり唄われない懐かしいうたが数多く歌われた。それは永井ようさんの場合、亡き友の遺した素晴らしいうただから、追悼の気持ちも込めて歌い継いでいるわけだが、人は死んでも、うたは歌われている限りいつまでも現役で、今を生きている、と気づかされた。
 しかし、その今歌っている方も亡くなればまた「うた」は歌われなくなってしまうわけで、できれば多くのシンガーが、それこそより若手の人たちがそうした旧い、昔のうたを聴き知って、後世に唄い継いでもらいたいと心から願う。
 そうした「うた」の場、うたの機会を作っていくことも我の使命、課題だと考えるが、我マスダにも我が知る、昔聴いたり人から教わった懐かしい歌、良いうたがいくつもある。
 そうしたうたを、今の人たちにぜひ歌ってもらいたいと願うわけだが、人様にこれこれを是非唄ってくださいと頼むことも強いることもじっさい難しい。うたとは、強制されることではなく自発的意思がまず大事なはずだから。

 以前、マスダは、詩人有馬敲氏の「広島のクスノキ」という詩に、我自ら曲をつけたものを、みほこんに歌わさせようと「カクサク」したのだが、彼女から、「うたとは作った人がまず唄うべきです!」と一喝されて、仕方なく拙いながら有馬さんを招いたコンサートで唄う羽目になったことがある。※この曲は幸いその後も彼女は気に入って頂けたものか、度々コンサートでも唄ってくれて彼女の新作CDにも収録されている。ぜひご一聴を。
 けっきょく、それをきっかけに、まさに彼女に手を引かれるようにして、今でも「共謀」コンサートのオープニングにはちょこっとだけギター下げて歌わせてもらったり、他に参加者がいないので一人楽団「ぶらいあんず」をやっている。
 つまるところ、確かに歌とはまず自分で唄うべきなのであった。唄いたいうた、後の世に残したいうたがあるのならば。他者に頼んだり請いて唄ってもらうのはセンエツであったのだ。

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[日々雑感]

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