母の命日、三回忌を前にして思うことなどなど・2
2018-09-14


★命を奪った「癌」について今思うこと

 このところ曇りがち、雨もよいでめっきり涼しくなってきた。毎週のように来ていた颱風も一段落したようだ。
 9月も半ばとなり、一昨日100円ショップに行ったらば、早くも来年のカレンダーが並び始めていた。もう今年もラストスパートの時期に入った感がある。

 何もできずに混乱状態のまま時間だけが過ぎていく。相変わらずダメであり、焦り屈託するところ大ではあるが、ふと気がついた。
 なにを 今さら、である。ダメで元々、ではなく、「ダメは元々」なのだったのだから、ともかくまだ生きて在りて、何とか無事であるのなら、それだけで良しとするしかないではないか。
 つまりこれが我のデフォルトの状態であり、その中で少しでも良くなるよう、必死に、いや、自分なりにやっていくしかない。誰も代わってくれないし助けてもくれない。それは当たり前のことだ。
 自分だけの、世間的に見れば最低ランクの、だが、我にとってはかけがえのない素晴らしい(※予定)人生を、自分のペースで生きていくしかないではないか。
 訃報相次ぐ中、我にも終わりがいつ来るか、それは今はまだわからない。しかし、今はまだ「健康」で、思慮深く注意怠らず過ごして行けば、きっといつかはもう少しマシになり、何かは成せるかと信じよう。
 一つ一つのことにあれこれ考えたり悩んだり落胆失望はしない。が、一つ一つやっていくしかない。
 懸案だった、自動車免許の更新も昨日やっと府中へ行って、誕生日一か月後の失効ギリギリのところで更新できた。失効、再発行することになればどれほどまた金がかかったことか。やれやれである。世間では人様が当たり前にできることが我には何でも一苦労ひと手間かかるのだ。

 過ぎたことよりもこれからのことだけを見据え考えていくべきだと心している。だけれども、死んだ母のこと、二年が過ぎた今だからこそ、見えてきたことやわかったことがいろいろある。そして「今」の心境も。
 そのことを書き記しておかねば、きっとまた同様の「失敗」をし、再度悔やむ事態が起きるかもしれない。それに、もし誰かこれを読んだ人の「知識」なり「情報」となって、その人自身の、あるいは親しい人の一助になるかもしれない。何しろ今は、二人の一人は癌にかかる時代なのだから。

 我の母が86歳で死んで、まるまる二年が過ぎた。86歳というとずいぶん長寿だと人は思うかもしれない。もっと若くして亡くなった人たちから思えば、全くその通りで、そこまで生きたのだから良しとすべきであろう。
 しかし、身内としては、長寿の家系でもあり、もっと長生きすると信じていたし、当人にとっても無念の「想定外」ではなかったかと思う。
 母は生来とても頑健で、大きな病気やケガなど癌を患うまで一度もしたことがなかった。面倒見のいい人だったから、ご近所の同世代のご婦人たちの世話をあれこれやいて、病院への送迎の車の手配から様々な生活相談にも気楽に応じてこの界隈の顔役的立場にあったと思える。
 その母があれこれ世話焼いていた近所の婆さんたちは、相変わらずヨタヨタよほよぼではあるが、今もまだ皆さん健在で、母の死後一人も亡くなってはいない。誰もが米寿を越したのではないか。
 今は女性は長生きが当たり前で、母も癌にさえかからなければ、今も彼女たちと同様まだ今も生きていたと信ずる。
 火葬場で拾った母の骨はすごく太くて、焼かれてもしっかり形が残っていて驚かされた。そう、本来頑健だった母は癌に命を奪われなければおいそれと死ぬはずもなかったのだ。ずっしり重たい骨壺を抱いたときの無念の思いは今も残る。

 では何で癌で死んだのだろうか。何で癌にかかってしまったかはともかく、発症から死ぬまでの道筋を今冷静に振り返ると、死に至るまでいくつもの判断の分かれ道があったことに気づく。

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[日々雑感]

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