母の命日、三回忌を前にして思うことなどなど・前
2018-09-05


★母の死から二年目を迎えて

 颱風21号は、関西方面各地に大きな爪痕を残して通り過ぎて行った。何でも今年の夏は、観測記録史上最も暑い夏とのことで、平成最期の夏は、その意味でも記録と人々の記憶に残るのだろう。
 しかし、次の元号が何になるかはともかく、こうした異常気象、つまり猛暑と度重なる台風襲来、そして記録的豪雨による河川の氾濫等は、次の時代の予告編に過ぎないと我は見ている。

 こうした異常気象、天変地異によるカタストロフィ、破滅的状況は、現代文明の必然的結末であり、我も含めて今生きている人類一人一人が、特に超大国アメリカと中国が、根本的に考え方を変えない限り、やがては本当に地球環境は破局し、人類が死に絶えるかはともかく、もう人間の生活、経済活動自体が立ち行かなくなるだろう。
 日中の気温が常時40℃を越してしまえば、子供でなくとも夏の間は一切外に出られなくなるし、農業、野菜だって育たない。いや、度重なる自然災害で、食物は高騰し、大金持ちしか生き残れなくなるかもしれない。

 洪水よ、我の亡き後に来たれ、というような考え方もあるが、我はこんな「世紀末」に生まれてまだ生きていくことをとことん受け容れたいと思っている。どんな大変な時代が来ようと、今まだ生きていることは、それをこの目で見聞きし、体験していけという使命なのかと思える。
 むろんいつだってどんなことでも引き返すことややり直すことはできる。旧約中のヨナ書が記すように、その市がソドムやゴモラの如く滅亡するかは、破滅を前にして悔い改めた義人の多寡によるものなのである。
 ならば危機感は持てど、絶望や諦めることなく、戦争も含めて破滅的状況に至らぬよう、声を上げ訴え続けていくしかない。
 おそらくそれこそが今生きている我らに課せられた使命なのではないか。


 さておき、我マス坊の最愛の母が逝ってこの9月8日で、二年となる。仏教の世界では、三回忌を迎えるということになる。
 今も母のことを思うと、様々な思いと共に痛恨、悔恨の強い念に苛まれる。誰もが親しい人を亡くして思うことだろうが、もっと何かできたのではないか、もっと手を尽くすことができたのではないかという悔いである。
 死んでしまった人は絶対に戻らないのだから、まさにそんな思いは無意味であり、今さら考えても仕方ないことだ。あれこれ過ぎたことを振り返って無駄な考えに囚われるよりもこれからのこと、もっと建設的なことを考えた方が良いに決まっている。

 しかし人の心は、そうドライに割り切れるわけではない。あれこれ考えられる間は考えてみるのも当然であろう。そして我もこの二年ずっと母のこと、その死までの経緯を思い出し振り返り、癌という難病との付き合い方も含めて見えてきたことがある。
 死んでしまった人の人生はやり直せないし、時間は戻せない。しかし、何事もきちんと検証作業はすべきではなかろうか。果たしてその時々の対処法は適切であったのか、どこの時点で「死」へ舵を切ってしまったのか、と。
 癌家系の我家であるから、おそらく我もまた母同様やがては癌に苛まれ患うことになるかと思う。ならばそのとき、癌で逝ってしまった母の死から何か学ぶところは多くあるのではないか。

 漫画家のさくらももこさんが先日癌で亡くなられた。八十年代半ば、マンガ雑誌りぼんで登場してきたときからずっと読み続けて来て、ある意味同時代を共に生きて来た人の若くしての死は驚きと共に様々な感慨がわく。
 今は二人に一人が癌にかかる時代と言われている。では、果たしてその治療法は今のままで良いのであろうか。母の死を受けて、我は現代の医学、医者たちのとった行動に今深い疑念を抱いている。

 そうしたことなど、何回かに分けて秋の夜長書き進めていきたい。
[日々雑感]

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