泣きながら目覚めた暖かい朝に
2017-03-18


★ともかくほんの少しでも進めていく。

 昨日は疲れ果て腰も痛くてブログも書けずに零時前に寝てしまった。また、父が熱だし病院に連れて行ったり一日振り回された。幸い大事にまたも至らなかったようだ。
 
 今朝がたの夢で、また母が夢の中に出てきた。だが、時間の経過とともに夢も複合的になっていくようだ。夢の中で(我が)泣いている夢を見た。

 何か知らないところで、大きな木に登って足場を定めながら伸びた不要の枝を手元の鋸で切り落としていた。落ちないよう慎重に、かなり緊張し恐怖感を抱えながら。あと少しだけ、あの枝を落としてしまおうと。
 木から降りたらひょうたん型の何mもある大きな水たまりがあり、側にいて、我の作業を見ていた人たちに声かけて知らせて、その浅い、おそらく湧水が溜まった池?に足をつけたりしていた。
 
 と、一転して夢にありがちなことで、場所は映画のシーンのように切り替わり、小さなキャビネットのような小部屋、どこか旅行先なのか、団地サイズの見知らぬ部屋で、奥まった台所の小さな流し場で母が食器など洗い物をしている。その後ろ姿が見えた。
 その夢の中では、母はまったく元気な姿でいて、我は話しかけ母は後ろ姿でも時折り振り返り答えている。が、しだいに、そういえば母は寝たきりで動けなかったんじゃないか、立って動けている、おかしいな、という「記憶」がよみがえり、自問自答したのか、それとも側にいた誰かに訊いたのか、はたと、これは夢なのだ!と気がついた。そして、母はもう死んでしまっているのだと、その哀しみに声を上げて泣いていた。
 しかし、それもまた夢であって、夢の中で死んだ母に会った夢を見て泣いた夢を見たということになる。それから目が覚めた。

 外は明るく晴れて、午前六時半であった。久しぶりに目覚まし時計もかけずに、自らすっきりと起きた。瞼が少し濡れていた気がしたが、目覚めてからはその夢にもう泣きはしなかった。

 母は死んでから何度も夢に出てくる。夢の中で会う母は幸いにして、あの病み衰え痩せ果てた死ぬ間際の姿のときは一度もない。いつも一番元気な頃、老いて癌を病んでも元気に動き回れていた頃の姿で、いつもにこやかに明るく我のイメージのままだ。
 それは、高熱で倒れてしだいに衰弱し介護ベッドに寝た切りとなった期間が僅か二か月間という短いこともあって、その頃の「記憶」は少ないということもあろう。しかしそれよりもそうした辛い記憶は無意識的に排除して、思い出さぬよう、夢の中でも排除しているのかとも思える。
 夢とは不思議なものだ。ただ、夢の中の母はいつも元気な姿で出てくることは救いだし、ならばもう辛い「現実」よりも我もひたすら眠って夢の中で、酔生夢死の如く母と暮らしていけたらとも「夢想」した。

 先にもこのブログで、もう父とのことなど愚痴など記さず記すはやめにして、何か新たな動きがあらばお知らせすると書いたら、翌日急に高熱出して肺炎起こした騒動があったと記憶する。
 前回のブログもまた同様の思いで、また動きあればと書いたとたん、父は体調崩して昨日はデイケア休んでまた受診に連れて行った。やれやれである。

 一昨日の16日、彼はみょうに元気でコーフンしていて、息子のほうが疲れて夕刻時、仮眠とりたいと伝えたのに、一人でパン屋に行くとか、犬がいないとか騒ぎ立ていて、目が離せず静止するため眠ることもできないでいた。
 その晩になったら、彼は赤い顔して熱を測れば37度を前後している。高い熱ではないが、また肺炎の初期症状かもしれない。食欲もなく夕飯を食べさせるのに苦労し、ともかく早く休ませることにした。
 このところ父のスケジュールは、金土日月とデイケアと二泊三日のショートステイが入っていて、我はずいぶん楽できるようになった。
翌日は、日帰りのデイケアで早出の日だった。

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[日々雑感]

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