人生は楽しめるときにとことん楽しめ
2016-08-07


★人は努めを果たすときが必ず来るのだから

 説教や教訓めいた訓話をしたり顔で、人様に説くほど厚顔ではない。が、今つくづく思う。こうして親たちの介護で身動きとれなくなって、初めてわかることがあった。
 そしておそらくそれは、その状況になってみないと絶対にわからないことだとも思うが、我が身にとっても書き記しておくべきことかと思うので記す。

 敬愛した山口瞳先生もよく若者たちに、成人の日などに新聞広告などで説いていた。おそらく彼も、書いたとしても彼らに伝わるとは考えていなかったに違いない。だが、先人の心得は、記すことによっていつかは、ああそういえばそんなことを書いていた人がいたなあ、このことかと不意に納得するときがくるときもある。
 小難しくエラソーに書く気はない。ただ経験としてやっとわかった人生の真理というようなものだ。

 この夏も年下の女友達から、夏の休暇で、出かけた先から励ましを兼ねてお見舞いのメールや差し入れのお土産が届いた。実に有難いことだと思う。我のような者を案じてくれて申し訳ない。そしてそうして彼女たちを反面羨ましくも思うことを告白する。

 もう今の我は、近場の谷保かけこみ亭にさえ顔出すこともできず、母が家にいれば、家から出るのは、犬の散歩と近所のスーパー、ドラッグストア、コンビニだけで、もう一切電車に乗って出歩くことも、誰とも会うこともない。ただ、母のオムツ交換と、むくんだ足などのマッサージ、そして食事つくり、父の食事介助、そして洗濯などだけで日々明け暮れる。いなくても病院に日に一度は必ず行って1時間は過ごす。
 それが辛いとか嫌だとかは思わないし何も考えない。ただ一日でも長く無事に平穏で親たちと共に暮らせる日々が続くことを願うだけだ。そして幸いにしてその願いは今現在かなえられている。

 実はこの数日、母の容体があまり良くなく、入院させているから病院任せにしていれば安心だとも思う反面、また不慮の出来事が急に起こるのではないかと不安で、夜も枕元に携帯電話をおき、落ち着いて深くは眠れなかった。
 来週半ばに退院ということで話は進んでいるのだが、また熱が続き、意識はあっても反応が鈍く、大丈夫か!という内心落ち着かない気分に苛まれていた。
 けっきょく、昨日は午前と夕方二回立川のその病院に出向き、病室で母の足をマッサージしながらあれこれ話しかけつつ時間を共にすることしかできなかった。
 幸い今朝方行ったら熱は下がり、意識もはっきりとしてきたので、現段階では退院できそうだと思えてきた。やや安堵した。またそのことはかなったら後ほどご報告いたします。

 さて、我は若い時から不良というほどではないが、十代の頃から放蕩の限りを尽くしメチャクチャな生活を続けていた。実家暮らしの頃から何日も家を空けてはふらっと関西まで遊びに行ったり、どれほど親たちを心配かけたかわからない。※聖書にある「放蕩息子の帰還」の説話はまさに身につまされる。
 親としては大学まで行かせたのだから、早く堅気になって会社勤めをしてほしいと願ったはずだが、けっきょく生涯きちんとした定職に就かず遊びや趣味を最優先して気の向くまま好き勝手に生きて来た。親たちも言っても無駄だと放任してそれを許してくれた。

 繰り返し書いて来たが、童話の「アリとキリギリス」の、キリギリスこそ我であり、世間の人たちは皆、そのアリさんたちのように皆地道に仕事に就いてコツコツと働いていたのに、我はそれをバカにして、自由の意味さえわからず自由を求めて実際行動はせず、だらだらと怠惰自堕落に自らを甘やかしつつ生きて来た。結果結婚もできず多くの友から女の子たちから愛想尽かされ誰からも相手にされず今に至っている。まあ、幸い数人の音楽仲間たちはたぶん今も我を見捨てないと信ずるが。


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[日々雑感]

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