マルビナ・レイノルズを探して
2016-02-18


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★誰か彼女を知らないか         アクセスランキング: 129位

 マルビナ・レイノルズである。表記は、REYNOLDS, MALVINA となるのであろうか。昔から名前だけは知っていた。が、寡聞にして、どういう経歴の人なのか、詳しいことは何もわからない。とにもかくにもその歌声が知りたい。

 その名前だけは昔から知っている。高田渡の「自衛隊に入ろう」の原曲、つまりメロディを作曲した人だ。昨今よく、その曲は、渡氏の作詞作曲と表記されていることもあるけれど、原曲は彼女のものだと昔の楽譜には記してあった。
 たぶん、まずそれでその名を知ったのだと思う。そしてJ・バエズが唄っていた「雨を汚したのは誰?」――おそらく、最も初期の反原発ソングのひとつ――も彼女のペンによるものだし、これは最近知ったことだけど、かつて関西フォークシーンでかなりよく歌われた「カッコよくはないけれど」(大田ぼうのアップルパミス他)も彼女の作詞作曲と表記されていた。
 我にとってこの三曲は今も昔もとても大事なフォークソングで、持ち歌として、特にこのところ「カッコよくはないけれど」は街頭や集会でよく唄っていた。そして調べたらそのどれもが彼女の作ったうただったのだ。ちょっと驚かされた。

 となると、彼女の唄っているオリジナルのそれが聴きたくなる。ところがそれをAmazonとかでCDで検索しても1曲も出てこない。だいたいそもそもこの人はシンガーなのか、かつてのキャロル・キングのようにソングライターなのかもわからない。
 ただ、レコードで検索すると、白髪?と思しきご婦人の顔写真が載っているジャケットのアルバムが何枚かヒットはする。ということはやはり歌手として活動していたと思える。

 しかし、彼女の名は、日本ではソングライターとしてよく見かけてもおそらくその当人の歌声を知っている人やレコードをお持ちの方はごくごく少ないのではないだろうか。
 それでも1960年代、高田渡ら、関西フォークムーブメントの中で、彼女の楽曲がよく訳されたり日本語詞で唄われたのは、米国においてピート・シーガーやバエズたちが先に持ち歌として唄っていたからだろうし、おそらく日本で曲が知られたのもそのルートからだと推測する。

 我は、十代の頃より日本のフォークソングを愛好し、その運動の第一走者である中川五郎氏や多くのフォークシンガーたちから彼らが影響を受けた洋楽のミュージシャンについて話をお聞きして来た。
 彼ら日本のシンガーたちから、素晴らしいミュージシャンたちの名、ディランやガースリーは当然ながら、例えばオデッタ、ジェリー・ジェフ・ウォーカーやディブ・ヴァン・ロンク、ニューロストシティ、古いところでは、ミシシッピ・ジョン・ハート、レッドベリー他、多々ご教示受け遅ればせながらも知ることができた。※フォークウェイズレコードに関しては両国フォークロアセンターの国崎さんからも。

 我はかなり遅れて来た世代だったからしょせん自らの知識やリアルタイムで聴いていた年代だけでは、ディランズチルドレンたち、例えばスプリングスティーンや、トム・ウェイツ、J・ブラウンら、通だとしてもエリオット・マーフィー程度しか聴くことはなかったと思う。
 そうした素晴らしい洋楽のシンガーたち、日本のフォークソングにとってのルーツミュージック、日本語で唄われたものの原曲を探し求めるのは今や我がテーマともなっている。
 だが、今まだそのオリジナルを確認できていない歌やシンガーもかなりいて、その筆頭がそのマルビナ・レイノルズなのだ。

 そもそもこんなおばさんが、いくつもの鋭いプロテストソングの傑作を生みだしているのはいったいどういう背景があるのだろうか。どういう経歴の持ち主なのか。60年代当時は、日本でも彼女のことはよく知られていたのだろうか。
 今その情報を集め調べている。もう少しはっきりしたことが見えてきたら報告していきたい。まずは彼女の歌う声がともかく聞いてみたい。
[観た聴いた書いた。]

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