雪の中、母の手を引き病棟へ
2016-01-18


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 想定外の雪であった。今年は暖冬で、この前日もぽかぽか陽気であったから、予報では今日月曜は広く雪となると言ってたが、おそらく積もることなどなく、降ったとしてもすぐに溶けるだろうと高括っていた。

 が、夜中から降り出した雪は朝にはかなり積もっていて、やがては雨に変わったものの、車走らせるのに苦労するほどの積雪となった。そんな日に、母は午後から立川の病院に入院することとなってたので、早い昼食後、よりによってと思いつつ慎重にハンドル握った。チェーンなどつけてはなかったが、スタッドレスのタイヤに替えてはいたので、時間はかかったが何とか無事着くことができた。
 母は明日一日かけて抗がん剤を投与される。特に問題なければ明後日午後には退院できる予定である。その結果はどうなるかやってみないとわからないが、とにもかくにも、良くも悪くも一つ歩を進められたという満足感のような思いがある。これで良かったのだと思いたい。

 母は今年86歳となる。その歳で抗癌剤やるという賭けのような選択、そして、その結果が吉と出るか逆となるかそれもわからない。が、患者よ、癌と闘うな、という異論が広く知られる昨今だからこそ、放射線を照射するとか強力な対処法でなければ、とりあえずできることは何でもやろう、やってみようとウチでは考えてのことだ。しかし、起こることは全て唯唯諾諾と抗わず受け入れるべきではないのかと思うところもあって、正直迷った。今の気持ちは、まずできることをともかくやってみてダメならその結果を抗わず受け入れようというところに落ち着いている。

 癌と闘おうとか克服しよう、治そうなんて思わない。そもそも治るものではないとわかっている。ただ、患者の主体として、癌の思い通りにはさせず癌を手なづけて、癌と共に仲良く付き合い、できるだけ長く生きられたらと望む。まあ、あと3年、母が女の平均寿命である九十ぐらいまで生きられたら御の字ではないか。
 そして今の時間の早さから思えば、おそらくそれは可能ではないかとも考えている。今年も間もなく春が来てやがて夏が来て、すぐに秋が、そしてまた冬となり一年が過ぎるだろう。そして来年もそんな風にあたふたしているうちに一年がすぐ終わる。ならば三年なんて目と鼻の先であろうし、坑癌剤が効かなかったとしても生きられるのではないか。
 むろん事態は悪化し面倒かつ大変な状況に陥るかもしれない。が、それすらもまた起こるべくして起きることであり、それは全く無意味なことではないだろう。どっちみち人は必ず老いて死ぬ。
 もう我が父も母も十分に生きた。問題は未だ自立できていない息子を抱え、彼=我がいることだけで、そのことは彼らの人生を左右すべきことではない。また、我は我でそのときはそのときだという覚悟もできてきている。
 老親をここまで生かしたのは、我が努力であり「成果」だという自負もある。しかし、全ては神の御心、運命の業でしかないのだから、先のことはわからない。だから思い煩っても仕方ない。
 むろんいろいろ迷い思い悩み不安にかられるのは毎度のことだ。
 しかし、勝手な言い草だが、こうして「書くこと」そして書く場があること、そして誰も読んでないかもしれなくても「読み手」がいると思えることは本当に救いだ。

 昨日のブログで、我が調子が悪いことを書いてしまった。書くべきか迷うところであった。が、書いたら、不思議なことだが、不調は軽くなった。治りはしないが、めまいも頭痛も体調の悪いのはかなり楽になった。※体感的にはさほど変わらなくても書く前とはずいぶん違う。

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[日々雑感]

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