ほんとに私は生きている
2015-07-26


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★反戦歌、労働歌コンサート無事大盛況のうちに終了す  

 日付が変わって翌日となったが、25日の深夜かけこみ亭から戻ってこれを記す。
 おかげさまでとても良いライブの一夜となったと思う。感無量と言うか、ただ深い感慨がわく。全ての人たちに対しておかげさまで、ありがとうございましたと深く感謝いたしたい。

 先にも記したが、去る7月5日の両国での隅田川フォークフェスの会場で、私はかなり高いところから下のコンクリートの地面に頭から落ち、その後の記憶がないことも含めてよくも一人で家に帰ってこれて今も無事だと改めて思う。

 本日のライブ後、その瞬間を目撃したソウルブラザーズの五十嵐さん達からそのときの様子とその後の私のとった行動を詳しく聞いた。、下手すれば死んでいたはずだし、死ななくとも車イスの生活となっていたかもと聞かされ神のご加護があったのだとつくづく有難く思った。皆に多大な心配をかけていた。運が良いとかいう以前に奇跡としか言いようがない。こんな愚かな我にカミサマの恵み、ご加護があったのだ。
 その神というのは、江島杉山神社でもあるから音楽の神さま、弁天様であろうか。

 落下後の記憶は特に直後は完全に欠落していて、自分はそのまましばらく失神していたのかと思っていたら、その後もすぐ起きて狂ったように動き回り、掃除したり片づけしたりめまぐるしく一人で周りが止めるのもまったく聞かずフラフラしながらも半狂乱的に狼藉の限りを尽くしていたようだ。まさに一時的に発狂していたとしか自分でも思えない。頭が誤作動し当人に意識はないのにゾンビのように何か使命感だけで動いていたのだろう。実に恐ろしい。

 何しろ自分が何をしたのか、今思い出せるのは、イベントが終わって誰もいなくなり、たった一人で神社からゴミ袋を抱えてフォークロアセンターに戻ってからなのだから。
 そうした失態を恥ずかしくただ情けなく、場の皆さんにすまなく思うけれど、とにもかくにも今日まで何とか生き延びて、メマイ、ふらつきは残れども無事に本番を迎えられことは本当に良かった。下手すればマスダ追悼コンサートになっていたかもしれなかったと言われた。あるいは続いて硬膜下血腫に倒れた老父にも万一のことあらば正直なところこのイベントどころではなかったと思う。
 いや、この企画があったからこそ果たすために生かされたのかとも思える。死んで当然のどうしようもない男だけれど成すべきことがあるので今回は生かされたのだと。

 そしてそのコンサートだが、企画者側が言うのも何だが、出演した側も観客も、そして店や企画した我をも、三者全員が満足した素晴らしいライブとなったと断言する。
 以前も書いたが、良いライブでも客が入らなかったり、客は入り企画側は満足しても演奏は今一つだったり、後から出演者から進行やギャラに不満が出たりもする。その双方が満足したとしても企画側にはまた別な不満が残ったりとその場の全員が納得、満足するコンサートはまずありえない。

 が、今日は、この暑さのうえ、夕方5時45分から9時過ぎまで、ほとんど休憩なしの長丁場にも関わらず、お客も適度に満席となり、進行はやや遅れたもののほぼ全てが満足のいく、こちらの思い通り以上の素晴らしいコンサートとなった。皆さんしっかりこちらの期待に応えて我が思いをうたで返してくれた。こんなことはまず記憶にない。

 お客様も何人もの皆さんから素晴らしい企画だとお褒め頂いたし、出演者たちもしっかりとした手応えを感じ、通して良いイベントとなったと満足もされたのではないか。
 そして何より、今回のような反戦歌とか難しい括りのあるコンサートを企画し、歌い手たちに無理を強い勝手なお願いをしたのに、彼らはこちらの期待以上の素晴らしいうたを聞かせてくれたことだ。むろん気心知れた仲だったということもある。このメンツなら良い演奏は当然だとも思っていた。

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[観た聴いた書いた。]

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