イベントを終えて〜続き
2014-12-02


禺画像]
★全てが終わり、全てが始まる。だからこそ、さあ、もういっぺん    
 
 また新しい朝が来た。
 11.30の詩とフォークソングのイベント、いろいろ失態失敗ばかりではあったが、ともかく大きい企画を成し終えることができた。失態が多々あったからやらない方が良かったと考えるのではなく、そこからもまた得るものと学ぶべきものはたくさんあるし、結果として次への糧、踏み台たたき台となることだってあろう。

 何ごとも安全と保身を考え失敗を恐れてやらないよりはやったほうが良いのだと信ずる。そしてやったことによって見えてくるものは確かにある。耳に痛いご意見や批判もそこから生まれて届くものであるし、新たな出会いも含めてそれらは次へとまた繋がっていく。
 その場に関わった多くの人たちにとって様々な何かを残してそれらは種となって心に根付いていく。良いことも悪いことも。
 
 当日の晩と昨日一日はまさに断腸というか痛恨の思いで、自らの甘さがもたらした失態と失敗について深く悔やみ悩み鬱々としていた。自らの「罪」を嫌でもみつめていた。
 自分がバカであり、バカをバカだと認じてそこに留まることはたやすい。それは、世人にとって理解しがたい怪事件が起きると、容疑者を常に「〜の心の闇はうかがい知れない」と評し書き結ぶのと同じで根本解決には何一つならない。
 大切なこと、すべきことは、そうした事件や失敗を繰り返さないよう手を尽くすこと、努力や備えることであって、バカだという事実や心の闇で事態を済ませてはならないはずだ。求められるのは二度と繰り返すことのないように根本解決をはかることであろう。次へとつなげていくためにも。

 じっさいいい歳をしてオレは本当にバカなんだなあとつくづく思う。何でいつもこうなんだとも。せめて一人舞台転換要員を誰かに頼んでおけばこんなに進行がもたつかなかったのだ。そんな当たり前のことにも思い至らず、スタッフ、出演者への細かい配慮や連絡も怠り、全てがあいまいなまま、きちんとしないまま当日に臨んでしまった。実に無計画、実に無責任であった。いわばマスダの実人生そのものであった。

 自分一人のことならばすべての結果は我が身で背負える。しかし今回は多くの人々を巻き込んでの公的なイベントであったのだ。興行的成功を願う以前に公演として成り立たせるため綿密な準備を計画立てて進めるべきであった。今ならば全てがはっきりと事態が見通せる。しかし、当日ライブが始まるまではまったく何一つ考えも思い至らなかった。それこそが自分の愚かさでありバカのバカたる所以であるが、終わって勝手ながらようやくそれに気が付いたことは良いことであろう。それもまた、やったからこそわかったことだ。

 本当にすべきこと、大事なことに今ようやく気づかされた。関わってくれた多くの人たちに不快な思いと多大な迷惑をかけてしまったが、ともかく肝心なことは謝罪も大事だが、戦争と同じく悲惨な事態は今後は二度と繰り返してはならないということに尽きよう。

 今の気分は古いコートを脱ぎ棄てて、というか、今まで来ていた皮を剥ぎ棄てて、一皮むけてこの身が軽く新しくなったという気がしている。頭の中は今朝の空のように澄み渡っている。
 1コンサートであり一つのイベントであったが、終わって自分にとってこれまで4年、抱えてきた呪縛からようやく解き放たれ、また新たな人生が今日から始まったという気さえしている。
 先の40周年コンサートでも終わって、我の不手際に失望し離れて行った友もいた。今回の件でも怒り呆れ果てた人も出よう。しかし、これで縁が切れようとそれもまた仕方ないと思うし、ここから始まり続いていく関係もまたあると信ずる。


続きを読む

[観た聴いた書いた。]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット