飼い犬のような人生を余儀なくされる人たち
2014-01-11


★「社畜」から沖縄の人たちを思う。     アクセスランキング: 127位

 強い力あるものが、弱者をその力で従わせ抑圧するという構図はそれこそ世界中、有史以前からある。それは人間社会だけではなく、いや、むしろ動物の世界にこそ顕著に見られる。例えばサルの世界でも、力によってリーダーとなった群れのボス猿が他のサルたちを支配している。それは良い、悪いとかではなく、自然に成立したその社会のシステムなのである。そうしないと群れ社会は成り立たない。ならばそれは問題とはしない。

 人間社会もかつてはそうであった。しかし近代以降、人間は男女問わず皆平等であり、封建社会ならいざ知らず殿様や王侯貴族、皇族など力ある階級の命が庶民や下層階級の者より価値があり上だということは建前上あってはならないということになっている。まさに四民平等、天は人の上に人を作らずということになっている。外国を見ても何人だからエライ、何々人だから死んでもかまわないということはあっても言ってもならないはずだ。人の価値の上下、優劣はないはずで、力で他者を従わせることは国際社会では禁止されている。

 しかしそれはまさに建前であり、命だけとっても欧米人のそれとアフリカ、第三世界のそれが等しく平等だと考える人はいない。今も昔も人間社会でも力ある者が弱者を支配したり抑圧したり差別・弾圧する構図がいたるところでみられる。そしてそれは近代化が遅れている社会での話ではなく、この国、日本国内でもいたるところでみられる。そしてその「力」とは直接の力ではなくカタチを変えた力=「金」なのである。

 こんなことを改めて考えたのは、マス坊の甥っ子、つまり妹の長男が今東京のアニメ制作会社にいて、会社に飼われている存在となっているからだ。「社畜」という言葉がある。豚や牛などは人が飼育している「家畜」であるが、社畜とは、会社が飼っているニンゲンを指す。
 正月元日にウチに顔出したが、それは仕事中会社から抜け出してで、お雑煮など食べて少しだけのんびりしたと思ったら夜また会社に行くのだと言う。なぜなら今進行中のアニメの締め切りを抱えているので正月休みも何もなく大晦日から他にもまだ会社に泊まっている同僚がいるのだそうだ。

 彼は高校を出て九州から上京しウチに下宿してアニメの専門学校に通った。そして卒業後西武線沿線にある中堅アニメ制作会社に就職し今制作担当をやっている。同期で入社した奴らは皆全員辞めてしまい、今では彼でも古株なのだという。もう二十代後半となった。
 その会社には健康保険もないし、むろん組合もない。今アニメ業界は好景気人気産業だから次々若手、新入社員はいくらでも入ってくる。しかし、皆ほとんど続かない。なぜなら休みは土日どころかまずほとんどないし、ほぼ365日会社に行かねばならない。まさに会社に住み会社に飼われている。普通の感覚、個人生活、人間的生活を求める者はそんな仕事続くはずがない。
 甥っ子はそれでもその世界に耐えて、今では部下もできたので多少の時間的ゆとりと言うべきか、個人的裁量で判断できる立場にもなったので、正月元旦には仕事を抜け出せたのである。

 その会社は別にヤクザがやってるわけでもタコ部屋というわけではない。アニメ業界というのは手塚治虫が作り上げた異常な悪しき慣習が定着していて、まさにそうした世界が好きな者たちだけが趣味と実益を兼ねてほぼ24時間仕事している異常な世界なのである。だからそれについて行けない者はすぐ辞めるか体を壊し脱落していく。甥っ子のように、社畜として飼われて、その生活に馴染めばある程度高給も与えられるようになっていく。そこには個人的自由も個人の尊厳も私生活も存在しない。しかし、会社に飼われている限り金はもらえるので喰えなくて死ぬ心配はない。好きなアニメの仕事に携える。まあ、過労死すればまさに犬死ではあるが。


続きを読む

[日々雑感]

コメント(全1件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット