2013-04-28
★ふるさとの話をしよう。
気がつけば、世間は大型連休後半の初日だそうで、各地の高速道路では、行楽や帰省の車で下りが数十キロの渋滞だとかテレビでは報じていた。毎日が日曜日かつ失業的、自営業にはこうした祝祭日の感覚が欠如している。
父母の代から東京生まれの東京育ちで、さらに今も生まれた場所ではないが父母と共に長年住み慣れた家に住んでいる者には当然ながら帰るべき「ふるさと」などない。
ふるさとを持たない自分ではあるが、故郷について考えてみた。
「ふるさと」とは、当然ながら実家のことではない。また、ごく簡単に行き来できる場所にあるのは故郷とは言えない気がする。と考えるに、ふるさととは、ある程度移動に時間や労力のかかる離れた場所にあり、親族に限らず懐かしい人たちがいる懐かしい場所だと言えようか。
と、なると、自分の場合、関西、それも京都と大阪であり、行けば行くたびに旧知の、そこでしかなかなか会えない懐かしい人たちがいて、大阪ならば天王寺〜動物園前に降り立ち通天閣を仰ぎ見ると、ああ帰ってきた、という気持ちになれた。 それは、大阪市内から離れていたが、毎年例年5月の連休中に催されるフォークフェス、「春一番」を観覧するための恒例の旅行であり、行けばミュージシャンも含めて何人もの気の合う大好きな仲間たちと再会の場でもあった。
しかしその春一番コンサートは、以前も書いたが、会場で運営側スタッフとトラブルが起きてしまい出入り禁止という処分を受けたので、もうそのコンサートへもそれにかこつけて大阪に行くこともなくなってしまった。それが2011年、大震災のあった年で、もう間もなく丸々2年となる。
行っていた頃は、大阪のついでに行きか帰りには必ず京都にも立ち寄り、有馬敲さん、六曜社のオクノさん、古川豪さんのところにも挨拶がてら顔出すのも通例としていた。大阪がなくなってしまったのだからもう京都へもなかなか行くことはなくなった。
ふるさとというものが、遠く離れたところにある懐かしい人たちがいる場所だとすれば、間違いなくそれは自分にとって大阪と京都であったと今気がつく。春一会場にはもう二度と行くつもりはないので、ふるさとの一部は永遠に失われた気がするが、京都には古本屋仲間らまだ他にも友人知人が住んでいるので懐かしい人たちが待つふるさとだと言えよう。願わくば今年こそは訪れたいと夢想している。ただ行くための目的がない。
以前は、そのコンサート自体が大型連休中、5日も続いたので、京都まで含めると旅行日程は一週間を超えてしまっていた。今は老親たち、老犬ら世話をしないとならないものを多く抱えている身なのでとてもそんなに時間はとれない。せいぜい二泊三日が家を空けられる限界かと思う。春一番もちょうど潮時でもあったのだ。
それでもときたま大阪ミナミの喧噪や、通天閣の下、ジャジャン横丁とかで春一仲間=春友たちと飲み歩いたことを思い出す。彼らとも久しく会っていないし疎遠になってしまった人もいる。
帰れなくとも帰るべきふるさとがありその地で会える懐かしい人たちがいることは幸福だと断言する。ふるさとを持たない者は、この地に定住していても心の中にはいつも漂泊の風が吹き荒れている。
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