2012年の「うた」をとりまく状況考察・2
2012-02-14


そしてそこにもう一つ顕著なことは音楽をやる側の人の数、音楽人口は昔に比べると飛躍的に増えていて、今は若者、特に女子高生たちの間ではロックバンド結成がブームであるし、一時期廃れた生ギターによるフォークソング的なうたも若者たちの間でもまた盛り返している。前世紀終盤に盛り上がったバンドブームは沈静化はしたものの、今もまた音楽熱として覚めやらぬ人たちが多くいることは、土日休日の夜遅く中央線に乗ればすぐわかる。車内見渡せば、ギターやらジェンベやら管楽器やら何やら楽器を抱えたミュージシャンが一つの車両に必ず数人づつは乗っている。もし大地震などで電車が停まってそこに閉じ込められれば、不謹慎だが時間つぶしに乗客だけでバンドがいくつも出来るのは間違いない。

 そしてそこにかつての戦争を知らない子供たち、=親父フォークの人たちが参入してくる。と、気がつくと、そこにいるのは誰もがミュージシャンであり、演奏し唄う側である。聴いてもらいたいと観客、聴衆を求めるが、皆が歌い手ばかりとなっては聴き手が存在しない。
 それはある意味、カラオケブームにも似ている。自分はカラオケはやらないし、そうした場にはほとんど参加したことはないけれど、知る限りそこでは歌い手は気持ちよく唄っていても聴き手は次に自らが唄う曲選定に夢中でろくすっぽ人のうたは聴いていない。

 あるいは昨今のモノカキの状況にも似ていよう。自戒するところもなくはないが、皆誰もがブログなりホームページやら何やらで、「発信」することに夢中になりそれに追われて人の書いたものは読まなくっている。つまり小説などの本が売れないことの最大の原因は書き手ばかり増えたからだという皮肉な現実と同じく、昨今のライブの客の入りの悪さは、一重にミュージシャン、歌い手が増えすぎたからだと言えなくもない。まあ、もともとこの音楽は演者と観客の垣根が低いことが顕著であったが。

 それはうたにとっては決して悪いことではない。唄いたいこと、うたを通して伝えたいことがある人が多いのはとても良いことだ。しかし、コンサートを企画する側としてはどうにも説明は難しく居心地悪いような複雑な気分があることも告白する。ある意味、今や数少ないファン層を企画や店ごとに奪い合っているのである。
 特に形態として、ライブ会場として店を提供する商売のあり方と、カラオケ的に既製のうたを無自覚的にうたうということに対しては異議を唱えるつもりはないが、どうなんだろうという違和感がある。《この件次回へ》

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[日々雑感]

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