中山ラビさんを偲ぶ
2021-07-06


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彼女との思い出は次々と湧いて来る。昨夜は、以来この約15年、お店でのことも含めて在りし日のことを思い出したが、不思議に何一つ苦いような思い出は何も無い。
 フォークシンガーというのは、ステージはともかく実際にお会いして親しくなるとけっこう難しい性格や癖のある人が多い。トラブルと言うほどではないにしてもささいな出来事でこちらが傷ついたり向うにも不快な目に合わせてしまったりと思い出すと何かしら気になり悔やみ心が疼くことが必ず少しあるものだ。
 ところがラビさんに限っては、思い出はすべて甘美で楽しいものしか浮かばない。本人も苦労されたからだと思うが、我だけでなくどんな人に対しても常にやさしく真摯に向き合ってくれた。ともかく誰に対してもやさしく思いやってくれた。
 それが営業的に取り繕ったものではなくそれこそが彼女の自然体で普段はまったく気取るところはなかった。あの迫力の近寄りがたいステージ姿との二面性がすごいと何度圧倒されたことか。

 有馬敲、片桐ユズル氏ら、オーラル派の詩人、英文学者中山容氏を追いかけて京都に行った十代の少女は中山ラビとして大成し、シンガーとしてお店の経営者として多くの人にとことん愛され逝ってしまった。あんなすごい人はもう二度と出てこない。
 今まで一滴も涙は出てこなかった。が、今これを記して少しだけ泣いた。もうこの世では会えないのか!! 
 これまで本当にありがとう ラビさん!!! お世話になりました。天国のほんやら洞へそのうち寄らせてもらいます。そのときはまたカウンター越しにお付き合い下さい。お元気で。

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[日々雑感]

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