2020-12-27
この2020年は、ひどい苦難と試練の年となったと感じている人も多々おられよう。しかし、我にとっては、結果としてこのコロナ禍で、多くのことを考えさせられ、自分にとって「音楽」というものが何かやっとわかった。見えてきた。その意味で非常に成果ある、ある意味良き年となった。
そう、「音楽」にできること、すべきこと、は何か、である。音楽家、それぞれの歌い手にとって、ではなく。
あるシンガーにとっては、感染拡大を怖れてライブ活動は一切控えて、自宅でオンラインで配信したりYouTubeに楽曲をアップしたりしたことであろう。
また、別なあるシンガーは、コロナ怖れるものにあらず、と声さえかかれば、どこへでも観客の多寡に関係なく精力的にライブ活動を続けたことであろう。まさに人それぞれである。。
このコロナ流行で、当初いみじくも為政者側から語られ強いられたことは、不要不急の外出の「自粛」であった。
それはつまるところ、コンサート、ライブ活動、寄席、映画演劇の観覧であり、野外でのスポーツイベントでさえそれに含まれた。それらに行くのは自粛せよ、というのである。そうした人が集うイベントこそ、「三密」に繋がる故に「不要不急」のものとされてしまったのだ。
「音楽」も含めてそうした芸能・芸術活動が、そもそも不要不急のものかはともかく、感染拡大防止のためには致し方ない面もあったとは思う。
しかし、だからこそ、それに少しでも関わる者、観客も含めて関心持つ者は、いまこの時代に「できること」「すべきこと」は何なのか自らに問わねばならないはずだ。
それを為政者たちが言うように「不要不急」だと思う人は除くとして。
我はその答えを見出し、それを実践、成し終えた。それこそがこの全10回の「月刊・共謀コンサート」なのだ。
音楽にできること、すべきことはまだまだ無限にある。多くの信頼できる仲間たちに支えられ、コンサートが続けられたことで誰より無力かつ非力な我も大きな自信を得た。
そう、「音楽」にできること、すべきことはまだいっぱいある。
これからも「共謀コンサート」は「月刊」は終えても不定期的にでも続けていく。
まだできる、すべきことがあると信じて。
再開の第一弾は、来年2/28日だ。
終わった後に常に感じる、何か忘れ物をしたのではないかと我を苛む不安感も今回は一切感じない。自分が死ぬときもこんなふうに満ち足りた、落ち着いた幸せな気持ちで死ねたらなあと思った。
これが26日のライブを終えて、帰り途に車を走らせながら考えたことだ。
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