初フェイスブック雑考・続き
2018-02-08


良いことばかりだと思う。しかし、繰り返すになるが、やはり我は距離を置きチェックするのもできるだけ控えるつもりだ。そしてあくまでも思うところや近況など世に「発信」したいことは、ブログの場で多くても日に一度の間隔でやっていきたい。
 見る人が見て読んでくれて、また、偶然誰かの目に留まればそれで良しとしたいし、そういう「関係」こそ好ましいと思っている。そこに「責任」は無いに近しいではないか。
 
 何かの打ち合わせなどで、たまに年下の人と会い、一緒に飲食を共にしたりする。が、ある人は、我と会い同席しているのにも関わらず、ちょくちょくスマホを取り出しては、我のことはそっちのけで、そのチェックや書き込みに忙しい。
 当初は、理由がわからず何か仕事関係で切羽詰まって常に確認や連絡とらねばならないのかと思っていた。が、今はわかる。その人は「友達」が百人規模の人だったから、その友達の動向チェックやフォローに忙しく、我と会っている間も、フェイスブックのほうに気をとられていたのである。

 フェイスブックを始めて、日々何かを書き込み画像を上げていると、それに対して反応返してくれる人のも見ないとならなくなるし、また同様に拍手やいいね!、コメントを返さねばならなくもなるはずだ。それがここの礼儀だしトモダチということなのだろう。当然そうすべきである。
 しかし我は正直面倒くさいと思ってしまう。ならばフェイスブックはあくまでも情報伝達の場としてだけ利用していこうと思っている。

 我はそうしたこまめにフェイスブックを時間あらばチェックする人たちや日々かなりの時間、スマホに向き合っている人たちのことをとやかく言う気はまったくない。が、その人自身の実人生はどこにあるのかと思ってしまう。心配にさえなる。もし世界からスマホが消え、使えなくなったら生きていけるのかと。

 人は「友達」という他者、外の世界と常に繋がり向き合う以前に、まずはもっと身近な、ごく親しい近しい人としっかり向き合うべきではないのか。我には妻も子もないので今は老父や犬たちしかいないが、そういう身近な大事な愛する人とだ。
 そして何よりもまず、「自分」というもっとも大切な人ともっともっと向き合い繋がっていくべきではないか。そう、我が今いちばん友達になりたい、繋がりたいのはこの自分、我が身なのだ。

 ずっと投げ出しほったらかしにしてきたこの人生、何とか再構築して手を加えて、自分の人生をまず生き直していく。そのためにもまず自分と繋がらなければならない。

 我のフェイスブックで「友達」となって頂いた方には申し訳ないが、友達だからこそまたきちんと連絡なりするつもりなので、日々のコメントなり感想を送り合うことは控えさせて頂きたい。我はあくまでもイベントなどの情報宣伝告知としてだけ用いていくので。どうかご理解ご容赦頂きたい。

戻る
[日々雑感]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット